『雨にうたるるカテドラル』(105行の詩) 高村光太郎
おう又吹きつのるあめかぜ。
外套の襟を立てて横しぶきのこの雨にぬれながら、
あなたを見上げてゐるのはわたくしです。
毎日一度はきっとここへ来るわたくしです。
あの日本人です。
……………
ノオトルダム ド パリのカテドラル、
あなたを見上げたいばかりにぬれてきました、
あなたにさわりたいばかりに、
あなたの石のはだに人しれず接吻したいばかりに。
……………
おう眼の前に聳え立つノオトルダム ド パリ、
あなたを見上げてゐるのはわたくしです。
あの日本人です。
わたくしの心は今あなたを見て身ぶるひします。
あなたのこの悲壮劇に似た姿を目にして、
はるか遠くの国から来たわかものの胸はいっぱいです。
何の故かまるで知らず心の高鳴りは
空中の叫喚に声を合わせてただをののくばかりに響きます。
……………
今此処で、
あなたの角石(かどいし)に両手をあてて熱い頬(ほ)を
あなたのはだにぴったり寄せかけてゐるものをぶしつけとお思い下さいますな、
酔える者なるわたくしです。
あの日本人です。(1921作)(1908~1909、パリ滞在中の思い出)
高村光太郎
1883(M16)東京に生まれる。父は光雲と号し彫刻家で、その長男。
1898(M31)東京に美術学校彫刻科に進む。文学をも好み、漢詩に親しむ
1902(M35)日蓮宗や臨済宗に興味を持つが、植村正久から聖書を学ぶ。
1906~1909ニューヨーク、パリ、イタリヤへ
1914(T3) 長沼智恵子(29歳)と結婚。
1931(S6) 智恵子に精神分裂の兆候。
1938(S13)智恵子、精神分裂症と肺結核のために死去。
1956(S31)光太郎、肺結核のため死去。