「神の選びの不思議さ」 2024.03.17
私たちキリスト者は、自分でよく調べよく考えて理解し納得して、イエス
をキリストと信じたのではありません。全能の神が私たちをこの世から選び
出してくださいました。
O姉は、教会から配布それた一枚のトラクトに興味があったのか、その時
は読まずに机の引き出しにしまっておきました。何年も何年もそのトラクト
は暗く窮屈な場所で眠っていました。或る季節の良い日に、庭のたき火に、
机の中の要らないものをドンドン燃やしていました。そのトラクトも火の中
に投げられ………燃え尽きる寸前、「高ぶりの心」の文字が彼女の目に飛び
込んで来ました。彼女は感じるところがあり、あわてて手で火を消しました。
教会のスタンプの住所を頼りに、礼拝に出席されイエス・キリストの救いを
受けられました。
K姉は、バス道に面した薬局に勤めておられ、ある雨の日、入口に入れら
れたトラクト、来客が踏んで靴跡のついているトラクトを拾い上げ、それを
読んで教会に来られ、救い主に出会われました。
私は、20歳のとき、15分のラジオ福音放送の最後の何十秒のころで、
読まれた聖書のみ言葉に聞いて、永遠の救いを受けました。
“すべてのことには定まった時期があり、
天のすべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。” 伝道者3:1,2
“神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
神はまた、人の心に永遠を与えられた。
しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを
見極めることができない。” 伝道3:11