「鉄の馬」

 実家にスクーターがあったこともあり、18歳で自動二輪の運転
免許証を取得しました。ホンダの空冷2気筒のタイプが好みでした。
音が静かで排気ガスが少なかったからです。50,90,125,250,400CC
と様々なタイプのものを乗って来ました。一番よく利用したものは、
125ccのもの。2人乗りでき小回りでき安定感があったからです。

名古屋時代に「異端ポケットシリーズ①~⑤」の執筆に取り組ん
でいた時に、パンクしたタイヤの修理をしていた時に、今まで経験
したことがない不思議な現象が起こりました。普通は釘など拾って  
パンクしますが、その時はリム(車輪の)と接しているチューブの
内側に何カ所も連続した穴が見つかり、びっくりしました。あり得
ないことが起きていました。サタンの仕業と直感し、鳥肌が立ち、
背筋が寒くなりました。その日は祈祷会のある日で、私が悪戦苦闘
している姿をみた婦人が「先生、そんなもの捨ててしまいなさい。
私が新しいのを買ってあげます。」と思いがけない申し出がありま
した。その方は開拓農家で、ご主人を早くなくされましたが、とて
もリッチな方でした。

 転勤で泉北に来たとき、その単車も他の荷物と共に引越しました。
ホサナの開拓のとき、泉北高倉台から三国ケ丘まで。その単車で毎
日通いました。

 これまで、いろいろな危険なハプニングもありました。家業の手
伝いで神学校を休校しているとき、プラスチック原料を100㎏近
くを運んでいる時、信号近くの窪みにハンドルを取られ横転、後の
トラックが急ブレーキを掛けてくれ、命拾いしました。

 神学生の時、JR鶴橋駅近でバス通りを走行中、路地から出て来
た車に撥ねられ、頭を10針縫うケガをしました(当時ヘルメット
着用は義務付けなし)。

 ある時、身の危険を感じ、通勤定期を買って「泉ケ丘」と「三国
ケ丘」を電車通勤しました。単車は近場の使用にしました。その単
車も教会の玄関で盗まれました。
 
単車は、私にとって「鉄の馬」で、約60年間使用しました。女
性を家庭訪問するときは、家内を乗せ、子どもが小さい時は、家内
は抱えるように、私とサンドイッチにするようにして三人乗りで。

預言者エリシャは「火の馬」で移動したようです。
“………火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。”
列王記第二6:17










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