12-225「あらゆる熱意を傾けて③「知識には自制を」 ペテロ第二1:1~11  (F127)
2024.11.17
お早うごさいます。

◆1週間の過ぎるのは早いですね。1週間は、なぜ7日のサイクルで巡って来るのでしょうか?
 もし1週が10日単位で巡って来るとすればどうでしょうか。
  私の場合は、もう少しメッセージの準備に時間をかけられて良いかなと感じますが、
  皆さんの場合は、かえって仕事や学校での拘束時間が長くなって、
   今以上に、心も体も疲れ切ってしまうでしょう。
1週7日制は、天地創造の時から、神ご自身が私たちのために、お定めになったのです。
ユダヤ人の考えでは、第1日目は日曜で、創造開始の日、 第7日目は土曜で、安息日です。
 創造者なる神が一連の創造のみわざを完成され、完了されて休まれました。
  創造者なる神は私たちのように疲れて休まれることはありません。
  私たちに、お手本を示すために、七日目を休まれたのです。
 私たちは週の最初の日に、キリストの復活を記念して救い主を、また創造者を礼拝しています!
  私たちが、与えられた1週を元気に、生き生きと使命をもって生きるために、
  週の初めの日に、救い主を待ち望んで、静まって、礼拝することは、非常に重要です。

<祈り>

今朝は、「あらゆる熱意を傾けて」シリーズの3回目で、
 「知識には自制を」、更に増し加える必要性について考え、学びましょう。
5節“だからこそ、あなたがたはあらゆる熱意を傾けて、
   信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を………加えなさい。”と語られています。
 “加えなさい。”とは、私たちが“……神のご性質にあずかる者となるためです”(4節)
  加えるとは、神を信頼しながら、“あらゆる熱意を傾け”ることを意味しています。
なぜ、ペテロは、「知識」の次ぎに「自制を」加えるようにと、書き送っているのでしょうか。

ガリラヤ湖の北50㎞ほどの静かな地域で、
イエス様は人々は、わたしの事をいろいろ噂しているが、
あなたがたはわたしを誰だと思っているかと尋ねられました。
ペテロは、(マタイ16:16)
 “あなたは生ける神の御子キリストです。”と 素晴らしい信仰告白をしました。
それにもかかわらず、イエス様がご自分の身の上に起ころうとしている受難、十字架の出来事を
 具体的に話された時に、ペテロは“そんなことが、あなたに起こるはずがありません。”と
イエス様を“いさめ始めた”のです。
  “主よ、とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません。”
ペテロは、偉そうに、イエス様に忠告したのです。
イエス様は、ペテロの愚かな忠告を、決して無視されませんでした。
“下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ。
  あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。”と叱れました。

知識は、人を傲慢(ごうまん)にさせます。
ペテロは、イエス様より年上で、自分は人生経験が豊かと思い、イエス様をいさめたのです。
 エリートの使徒パウロは、自分の体験も含めて、次のように手紙に書きました。
 “……知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てます。” コリント人への第一の手紙8:1
ペテロが、私たちキリスト者が「神のご性質」を、身につけて行く段階として、
 “信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を……”と
  知識の次に「自制」を取り上げたのにも、大切な意味があります。
 “知識は人を高ぶらせ”ます。知識は時には、人をさばく材料になりやすいものです。
「自制」とは、文字通り、「自分を制御すること」「セルフコントロールすること」です。

◆自制とは、車で言えば、ブレーキの役目と言えるでしょう。
車を安全に運転するには、アクセルとブレーキを正確に上手に使いこなすことが大事です。
・発進するするときは、アクセル踏むことが必要です。
・停まるときは、勿論、ブレーキを踏みます。
この操作が、うまくできないと、事故につながるのです。
◇私は、50年以上、単車・バイクを乗りました。
   止まる時は、右足で後輪のブレーキをかけ、次に右手で前輪のブレーキをかけるのが原則。

◆私たちの心にも、アクセルとブレーキの部分があると思います。
ある名言に、
「失敗を恐れて、何もしないよりも、何かをして失敗する方が良い」とあります。
私の信条でもあります。慎重になり過ぎて、石橋を叩くようでは、向こう岸に渡れないのです。
少々、無謀と思うこと、払う犠牲が大きすぎる、辛いことが伴うと思っても、
   信仰を持って一歩踏み出すと、道が開け、達成感を味わえるし、自信も身につくものです。

◆“知識には自制を”を身に付けるようにと言われていますように、
 正しい価値観、正しい状況判断する能力と共に、自制心を働かせる能力も求められています。
今、世の中で、あってはならない事が起こるたびに、トップの方が、
 「大変申し訳ありません」と謝罪する出来事が多いですね。いじめや汚職も後を断ちません。
自制心と言う、心のブレーキの故障している人が増えているからでしょうか。

◆族長ヨセフは17歳の時、兄たちに妬まれ、奴隷としてエジプトに売られました。
  主人の奥さんから誘惑を受けた時に、神を恐れ、自制力を発揮して、誘惑に打ち勝ちましたが、
   誤解され、苦役に服する忍耐の時期がありました。
  最終的に、最善をなしてくださる神の祝福を受け、王の次の座に着きました。
やがて、ヨセフは自分の家族と親族を、世界的な規模の飢饉から救うことができました。
  (創世記39:9)

◆勇敢で有能なダビデは、サウル王に妬まれ、命を狙われ、しぶとく追跡されました。
ダビデが荒野の洞穴の奥に隠れているときに、サウル王が用を足すために入って来ました。
  反撃のチャンスでしたが、ダビデは自制心を働かせました。(サムエル第一24:3)
そのダビデも、晩年には王の座に着きましたが、自制心を失い、一線を越えて、姦淫と殺人の
  罪を犯しました。その時の苦しみと悔い改めは、詩篇51篇に記されています。

◆「自制」「自制心」は、ガラテヤ5章の中で、
 すべてのキリスト者が結ぶよう願われている聖霊の実の1つとして上げられています。
5:22に“聖霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です”と
       記されています。
聖霊なる神の導きと助けとによって、「自制」「自制心」が、身につくのです。
 この言葉は、新約聖書の中で、3つの場面で使われています。

1.霊的な指導者である「監督」の資格に関する記事の中で、
“……人をよくもてなし、善を愛し、謹み深く、正しく、敬虔で、自制心があり、”と
   記されています。(テトス1:8)

2.結婚に関する記事の中で、用いられています。パウロは、コリント人への手紙第一の中で、
結婚生活がうまく行かないときには、合意の上で、しばらく別居するように勧め、
 “……あなたがたの自制力の無さに乗じて、サタンがあなたがたを誘惑しないようにするためです。”
   と書き送りました。(7:5)
結婚生活は、元々、赤の他人であった二人が、最も親密な関係を築いて行くのですから、
   自制力が求められます。相手の身になって考えたり、感じて、セルフコントロールする事が
   求められます。

  ◆トルナウゼンと言う有名な神学者は、本の中で、『結婚は、男女が全生涯を通じて、
    最も真実に利己主義を克服する場所である』と記しています。
結婚生活において、夫婦は互いに、自制力、自制心を働かせる必要があります。

3.スポーツに関する記事の中でも、用いられています。
  マラソンなどの個人種目は、自分との孤独な戦いです。自制心、持久力が強く求められます。
 使徒パウロは、コリント人への第一の手紙の中で、オリンピックの場面を瞼に描きながら、
次のように書いています。
 “競技場で走る人たちはみな走っても、賞を受けるのは一人だけだということを
  知らないのですか。ですから、あなたがたは賞を得られるように走りなさい。
  闘技をする人は、あらゆることについて節制します。
  彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるために
  そうするのです。ですから、私は目標がはっきりしないような走り方はしません。
  空を打つような拳闘もしません。私は自分のからだを打ちたたいて服従させます。
  ほかの人に宣べ伝えておきながら、
  自分自身が失格者にならないようにするためです。” (コリント第一9:24~27)

“あなたがたは、あらゆる熱意を傾けて、
 信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を……加えなさい。”との、み言葉の中から、
「自制すること」「セルフコントロール」の重要性について考えました。

 ◆ギリシャの哲学者プラトンは、
  「自分に打ち勝つことが、最も偉大な勝利である。」と言いました。

 ◆プラトンの更に500年ほど前に、イスラエルのソロモン王は、箴言の中で、
  “怒りを遅くする者は勇士にまさり、
   自分の霊を治める者は、町を攻め取る者にまさる。”と記しています。(16:32)

使徒パウロは、テモテ第二の手紙3章の1節で、
“終わりの日には困難な時代が来ることを、承知していなさい。
 そのときに人々は、自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、
 神を冒涜し、両親に従わず、恩知らずで、汚れた者になります。
 また、情け知らずで、人と和解せず、中傷し、自制できず、粗野で、善を好まない者になり、
 人を裏切り、向こう見ずで、思い上がり、神よりも快楽を愛する者になり、
 見かけ敬虔であっても、敬虔の力を否定する者になります。こういう人たちは避けなさい。”
19の罪深い人間の姿を紹介しています。その中に“自制できず”と言う言葉があります。

パウロは“終わりの困難な時代”の中にあっても、ローマ教会の兄弟姉妹たちに、
 “自分に関することについては、できる限り、すべての人と平和を保ちなさい。”
 と勧めました。(12章18節)

すべての人と平和を保ち、幸せな生活を送るためには、
 いろんな人々とさまざまな状況の中で、
  私たち自身が、自制心を働かせ、セルフコントロールする力が大切ですね。

今週も、上を見上げ、御声を聞きながら、歩ませていただきましょう。

◆応答の時◆
“だからこそ、あなたがたはあらゆる熱意を傾けて、
 信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を………加えなさい。”










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