12-223「あらゆる熱意を傾けて①「信仰には徳を」 ペテロ第二1:1~11  (F125) 2024.11.03

お早うごさいます。
今年も、2ケ月で終わりますが、来月はクリスマスを迎えます。
今日も、ご一緒に、全能者であり、救い主イエス・キリストに 
 礼拝を捧げられる恵みを感謝します。

<祈り>

私たちは、神ご自身である主イエス様を知ることによって、
“神のご性質にあずかる者となる”と言う、驚くべき約束が与えられています。
今朝から、回を重ねて、この神様のご性質にあずかる恵みについて考えて行きたいと願っています。
今朝は、あらゆる熱意を傾けて①「信仰には徳を」加える重要さを学びましょう。

4節の後半。“………その約束によってあなたがたが、欲望がもたらすこの世の腐敗を免れ、
       神のご性質にあずかる者となるためです。”
 私たちキリスト者は“神のご性質にあずかる者”と言われています。
  なんと恐れ多いみ言葉でしょうか? この約束をしっかりと心に受け留める必要があります。

神のご性質には、大きく分けて2種類あります。
1.神独自のご性質、神であられるゆえに持っておられる特別なご性質が、4つあります。
・全知→ すべての領域で、過去の事も現在の事も未来の事も、すべて完全に知っておられる。
 ・全能→ 神には不可能な事は何もない。何でもおできになる。
・遍在→ 神は、時間や空間に支配されないお方。いつでも、どこにでもおられるお方。cf.「偏」
・永遠→ 神以外の被造物は、すべて有限で、変化し、朽ちて行くものです。
しかし、創造者なる神様には、初めも終わりもないのです。
       神様は、永遠の初めから永遠の終わりまで、存在し続けられるお方です。

 私たち人間は、どんなに難行苦行しようが、どんなに立派なことをしようが、
 これら4つの神のご性質を、身に付けることは決してできません。
  人間は人間です。人間は、決して神にはなれません。これが、聖書の基本的な教えです。
  ところが、まことの神を知らない多神教の日本では、人間が神や仏に祭り上げられ易いのです。

2.神の道徳的なご性質。
私たちが持っている「愛」「聖さ」「正しさ」などの道徳的な性質は、罪のゆえに
   著しく歪められています。不完全です。
  しかし、神ご自身は、 道徳的な性質を完全な状態でお持ちになっています。
  昔、使徒パウロは、ガラテヤ地方の兄弟姉妹たちに、“聖霊の実”を結ぶように勧めています。
  パウロは、私たちキリスト者が日々の信仰生活の中で、
   具体的に身につける性質として、9つ挙げています。
  “聖霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。”と(5:22~23)。
使徒ペテロは、今日の聖書箇所で、そのうちの7つの性質を取り上げています。
  パウロとペテロは、共通する願いを持っていますね。

私たちの救い主なる神は、私たちが名実ともに、神の子供として成長することを願っておられます。
 しかし、霊的な成長を妨げる敵が3つあることを、よくわきまえておくべきです。
①.肉。自我、私たちの内にある古き人。生まれながらの罪深い性質。
肉欲・物欲に捕らわれやすく、霊的なものには無関心になりやすい性質です。
 ②.この世。4節で使徒ペテロは“世にある欲のもたらす滅び”と記しています。
    私たちが今住んでいるこの世は、あらゆる不正と悪に満ちています。
 ③.サタン。神に絶えず敵対し、私たちを神から引き離そうと、
    いつもスキをねらっている手ごわい強敵、それがサタンです。
私たちの内なる人・霊は、この3つの敵に絶えず囲まれていますので、
 そう簡単には、神のご性質に似せられ、“神のご性質にあずかる者”とは、なれないのです。
“神のご性質にあずかる”この事は、私たちの地上での、一生涯の課題とも言えます。

5節“だからこそ、あなたがたは、あらゆる熱意を傾けて、信仰には徳を、徳には知識を……加えなさい”
 聖書の重要な真理の一つは、「ただ信仰によってのみ救われる」と言う事です。
1517年の、宗教改革の精神です。
信仰は、クリスチャン生活の土台です。信仰なくして、神に喜ばれることはできません。
神は、私たちが罪を赦され、神の子とされるだけでなく、成長することを願っておられます。
 ペテロは、第一の手紙の2章1,2節の中で、このように語ります。
 “ですからあなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、
  すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を
  慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。”

◆私たちが、神の許しの中で、この世に生まれ、今に至るまで、肉体的にも精神的にも霊的にも、
   守られ支えられて来れたのは、神の憐れみと恵みの御手が指し伸ばされてきたからです。
   もちろんのこと、親や友の愛と共に、自分自身の絶えざる努力がありましたね。
赤ん坊は、日ごとに成長していきます。
「這えば立て 立てば歩めの 親心」と言われますが、赤ん坊も必死の努力をしているのです。

◆ペテロは、信仰を強調しますが、“あらゆる熱意を傾け”ることが重要と考えています。
 ・子供の救い、家族の救いの事を考えて見ましょう。
   私たちの家族が救われることは、神様の願いです。神は次のように約束しておられます。
  “主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。”使徒16:31
家族の者は、いつか分かってくれるだろう。いつか救われるだろうと、
   楽観的に考え、のんきに構えていてはなりません。家族の救いは、緊急の課題です。
明日の事は誰も分かりませんから。
    確かに言えることは、今は恵みの時、今は救いの日であることです。
サタンに先を越されないために家族の救いのために“あらゆる熱意を傾け”る必要があります。

◆私の証し→ 私たち夫婦は、4人の子どもたちの救いのために、どんなに祈り続けたことでしょう。
特に、次男のために、涙と共に苦難の祈りを長年続ける必要がありました。
・この世の濁流が、家庭に入り込まないために、努力し工夫もしました。子供を守るために、
  帰りの門限を定めました(夜8時に)。テレビを見る時間も制限しました。1人30分。
・毎日家庭礼拝をしました。自分で聖書を読むように勧めました。教会学校にも出席させました。
   キャンプに参加させました。救いの機会を与えるために超教派の伝道集会へ一緒に行きました。
・小さいときから、お年玉なども十分の一献金をさせました。文句は一度も聞きませんでした。
月に一度、私は子どもと一対一の面談の時を持ちました。
   子供の小遣い帳のチェックの時でもあり、悩みや欲しいものを聞くために時間を取りました。
このような日ごとの、長年の地道な祈りと努力の報いとして、
  神様は約束を果たして下さり4人の子供を、救って下さったのです。幸せな生活を送っています。

◆私たちは、自分自身が霊的に成長し“神のご性質にあずかる”ために、
  どんな熱意や努力をしているでしょうか? 聖書は“あらゆる熱意を傾け”なさいと語っています。
あれこれやって、よい結果が出なくても、あきらめないで、工夫し、努力することが大事です。
努力する可能性がいくらでもあるのですが、私たちがあきらめるので、結果が現れないのです。

◆ある時、イエス様は、群衆に向かって“狭い門から入るように努めなさい。”と語られました。
(ルカ13:24)
 ペテロも“あらゆる熱意を傾けて、信仰には徳を……を加えなさい。”
 “あらゆる熱意を傾けて、………加えなさい。”とは、
   信仰によって神の子とされた私たちが、工夫して絶え間無く努力して、
   神の子にふさわしい良い習慣や神に喜ばれる性質を身につけ加えることです。

使徒ペテロは、どんな努力をしてでも、まず身につけるべき“神のご性質”として『徳』を選びました。

◆広辞苑では『徳』について、いくつかの説明をしています。
  ・道をさとった、りっぱな行為。善い行いをする性格。身についた品性。
 ・人を感化する人格の力。……… 一般的に「人徳のある人」などと言う言い方をします。

◆『徳』と言う言葉は、ギリシャ語で「アレテー」と言う言葉で、
 ギリシャ神話で、戦いの神である「アレース」の名前から生まれた言葉です。
ですから、元々は「男性的な勇敢さ」を表す、意味を持っていました。
 『徳』と言う言葉は、肉体的にも、精神的にも優れていることで、
 次第に、人格的、道徳的な意味が強くなってきたようです。

◆3節、4節、5節に出てくる「アレテー」と言う言葉が、
 ◇新共同訳聖書では、別の言葉で訳されています。
3節、4節を“力あるわざ”と訳され、5節を“徳”と訳されています。 

◇創造主訳聖書では、3節、4節を“優れた力”と訳され、5節を“道徳的力”と訳出。

◆「徳」と言う言葉は、儒教的な色合いの濃い言葉ですので、
 私たちが今使っている「聖書 新改訳 2017」では、“栄誉”と翻訳されています。

◆『徳』を、聖書的な言葉を用いて言い表せば、
  「キリストの香りを放つ品性」、「キリストの愛を実行させる性格」と言えるのでは………?

◆『徳』とは、デリケートな人の心を理解し、勇敢な行いのできる品性とも言えるのでは………?
 徳とは、善い行いをする性格、身についている品性、人によい影響を与える人格的な力です。

◆慰めの子と呼ばれた「バルナバ」は、麗しい品性を身につけていましたね。
教会の働きを進めるために、自分の持っていた畑を売り、その代金を使徒たちに委ねました。
(使徒4:36~37)
 また、「バルナバ」は、タルソに避難したパウロを訪ねて、
  十分に状況説明して、パウロを納得させ、教会の交わりに迎え入れました(使徒9:27~28)。
コリント人への第一の手紙8:1~2
  “………知識は人を高ぶらせ、愛は人を育てます。
   自分は何かを知っていると思う人がいたら、
   その人は、まだ知るべきほどのことをまだ知らないのです。”

◆2006年10月2日。『徳』とは何かを、雄弁に伝える出来事が起りました。
アメリカのアーミッシュの学校で発砲事件が起こりました。
  教室の中にいた10人の少女たちが全員が犠牲になるところ、5人が射殺されました。
  13歳の年長の女の子が、「私から撃って下さい。」と申し出ました。
  辛うじて助かった、その女の子の妹が「次に私を」と語ったと言うのです。
  何と勇敢な発言と行動でしょうか。ドキドキ、ハラハラする場面での出来事でしました!
メノナイトと関係のあったアーミッシュの人々は、文明を退けて、昔ながらの生活をしています。
  それは、いつでも、すべてのことについて、神の声を聞く習慣を身につける努力の現れです。
  ですから、とっさの時にも、信仰と愛によって、弱者を守る正しい判断と勇気ある行動を
   とることができたのですね。
今、北米には、約35万人のアーミッシュの人々がいるようです。

“あなたがたは、あらゆる熱意を傾けて、信仰には徳を……を加えなさい。”
この神のみ言葉を、しっかりと心に刻んで、歩んでいきましょう。

◆応答の時◆

“あなたがたは、あらゆる熱意を傾けて、信仰には徳を……を加えなさい。”









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