12-220「神に敵対する者・サタン」ペテロ第一5:6~11  (F122) 2024.10.06
                                  
お早うごさいます。

秋がすっかりと深まりました。お互いに体調管理に十分気をつけましょう。
今日も、ご一緒に、全能者であり、救い主イエス・キリストに 
 礼拝を捧げられる恵みを感謝します。

ペテロの手紙を連続して学んでいます。
今日は、「神に敵対する者・サタン」について学びましょう。

<祈り>

現代の多くの人々は、悪魔・サタンは、昔の神話の世界に登場しても、
 今の時代には存在しなくなったように思っています。
 自分たちとは無関係のものとしています。この考え方こそ、サタンのワナです。
イエス様は公の生涯に入られる前に、荒野でサタンの攻撃を受けられました。
この手紙の著者ペテロは、イエス様から“サタン”と呼ばれた。
医者ルカが記したルカの福音書にも、“サタン”と言う言葉が多く出てきます。

まず、み言葉を読んでみます。 ペテロ第一5:5b~9
“……みな互いに謙遜を身に着けなさい。「神は高ぶる者には敵対し、
 へりくだった者には恵みを与えられる」のです。
 ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。
  神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。”
 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。
  神があなたがたのことを心配してくださるからです。
 身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、
  吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。
  堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。
 ご存じのように、世界中で、あなたがたの兄弟たちが同じ苦難を通ってきているのです。”

高ぶり、思い煩い、その後に ………“あなたがたの敵である悪魔が………”と続いています。
私たちの敵である悪魔が、私たちを高慢にさせたり、思い煩わせたりして、
 私たちを神から引き離そうと、やっきになって働くのです。 
8節。“あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、………”
4:12“……あなたがたを試みるためにあなたがたの間で燃えさかる試練を、
      何か思いがけないことが起こったかのように不審に思っては行けません。
      むしろ、キリストの苦難にあずかればあずかるほど、いっそう喜びなさい。……”
この手紙の受取人は、迫害の中に置かれていました。
“燃えさかる試練”を体験していました。
“敵である悪魔が、吼えたける獅子のように”暴れまわっているようでした。
・まことの神を信じる私たちにも、見えざる敵・悪魔・サタンが絶えずスキをうかがって、
  私たちを神から、キリストから引き離そうとしたり、
  私たちを誘惑して堕落させたり、霊的に攻撃して、敗北させようしています。

◆悪魔は、決して架空の、単なる想像上の存在ではありません。
霊的な実在者で、最初の人間アダムやエバよりも早く存在していたのです。
完全に正しく、また聖なる神様が、悪魔を創造されるはずはありません。
悪魔は、天使の一人が、高慢のゆえに堕落した堕落天使です。
  ですから、悪魔は最初から、神に敵対する、人格をもった霊的な実在者です。

◆悪魔は、天使と同じように、神以下で人間以上の、知恵や力を持っています。
悪魔は、ボスであって、多くの手下・部下である「悪霊たち」を従え、束ねています。

◆私たちは、悪魔・悪霊たちに無関心であっては良くないし、興味を持ち過ぎても危険です。
何か不都合な事が起きたら、何でも悪魔・サタンのせいにしては、いけないことです。

◆悪魔の別名は、サタンです。また、いろんな名前で呼ばれています。
「試みる者」(マタ4:3)。「悪霊どものかしら」(マタ9:34)。
  「敵」(マタ13:39)。「この世を支配する者」(ヨハネ12:31)。
  「空中の権威を持つ支配者」(エペソ2:2)。
「全世界を惑わす、あの古いへび」(黙示録12:9)など。
悪魔は、神の権威によって最終的に、完全に滅ぼされます。
黙示録の20:10には“彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。……”と。

◆悪魔・サタンの働きを、思い起こしておきましょう。
・サタンは、最も良い環境に置かれていたアダムとエバを、誘惑して堕落させました。
・サタンは、信仰の篤いヨブを試み、ヨブに神を呪わせ、ヨブを神から引き離そうとしました。
・神に仕える大祭司ヨシュアを神に訴えようとしました。(ゼカリヤ書3:1~2)
・イエス様の誕生の時にヘロデ王をそそのかして、イエスの命を狙い幼子たちを虐殺しました。
・イエス様を荒野で試みました。その時、聖書のみ言葉を用いてイエス様を誘惑しました。
・パリサイ人たちを用いて、イエス様にあらん限りの非難中傷をあびせかけ、巧みに攻撃しました。
・イエス様を十字架につけ、サタンはイエス様に勝利したかに見えましたが、
   実際は完全に敗北しました。なぜなら、主イエス様は死から復活されたからです。

◆ペテロはサタンとの関係:
 イエス様が十字架の出来事を予告された時、ペテロはそれを認めたくないので、否定しました。
その時、イエス様はペテロに向かって、
“下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をする者だ。
  あなたは神の事を思わないで、人の事を思っている。”マタイ16:23
 12弟子たちの中で、イエス様から『サタン』呼ばわりされたのは、ペテロだけです。
“シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいに
  かけることを願って聞き届けられました。”と言われたのもペテロです(ルカ22:31)。
 ですから、ペテロが悪魔の働きに敏感にならざるを得なかったのも、うなずけます。

“あなたがたの敵である悪魔”→
  悪魔は、私たちの敵です。悪魔は私たちの足元に『ワナ』を設けたり、
   私たちを神と神の愛から引き離そうとやっきになっています。
ペテロが指摘しているように、悪魔は何とかして、私たちを
  『高ぶらせよう!』『思い煩わせよう!』とスキを狙い、たくらんでいるのです。ですから、
 イエス様に長年仕えて来たペテロが「高ぶるな!」「思い煩うな!」と警告しています。
 “神の力強い御手の下に、へりくだりなさい。”
 “あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。”と勧められています。

悪魔は親分で、多くの悪霊どもを部下にして、作戦会議を開き、悪魔帝国を築こうとしています。
 恐ろしい事件が多発している背後で、ニタニタ笑っているのは悪魔と悪霊どもです。
悪魔の恐ろしい様子が絵のように表現されています。
“吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています”と。

◆子供たちが小さい頃。天王寺動物園で、ライオンのうなり声をそばで聞いたことがあります。
お腹をすかして、エサを催促していた? 大砲のように、地面が響くようなものすごい声!

◆M.ルターの書斎の壁には、インクの飛び散った跡があるようです。
   悪魔の攻撃を身近に感じ、悪魔に向かってインクビンを投げつけたからだそうです。

 ◆使徒パウロは、見過ごしやすい悪魔の別の姿を、私たちに伝えてくれます。
“驚くには及びません。サタンでさえ光の御使に変装します。”(コリント第二 11:14)
  悪魔は、変装の名人で、天使と区別がつかないように変装し、
   私たちに接近して、欺くのです。
ですから、私たちはサタンの巧妙な働きに、絶えず警戒している必要があります。
決して無防備であってはいけません。「油断大敵」です!

ペテロは、8節で“身を慎み、目を覚ましていなさい。”
 ペテロが“身を慎む”という言葉を用いたのは3回目です。1:13,4:7
彼が、自分の体験に基づいて“身を慎む”ことの大切さを知って欲しいと願っているようです。
 詳訳聖書では、1:13「まじめに、思慮深く、道徳的に油断なく、気を落ち着けていなさい。」
        5:8「度を過ごさぬようにしなさい。落ち着いて冷静でいなさい。」
ペテロは、悪魔に警戒するだけでは、不十分なことをも体験していたので、
9節では、積極的に“堅く信仰に立って、この悪魔に対抗しなさい。”と勧めています。
 ・少年ダビデが、信仰によって、巨人ゴリアテに勇敢に立ち向かったように、
 ・イエス様が、み言葉によって、悪魔に立ち向かわれたように、
私たちも“堅く信仰に立って、この悪魔に対抗”する事が求められています。

・聖書を読むとき → サタンは妨害します。活字を追うだけで、意味を理解させないように。
・祈るとき → 祈りに集中させないで、雑念を入れたり、用事を思い起こさせ、祈りを妨害します。

◆使徒パウロも、同じ事を勧めていますね。 エペソ6:10~
 “終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
  悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、
  神のすべての武具を身に着けなさい。………”

9,10節に『苦しみ』の問題が取り上げられています。
ヨブは、神の許可を得たサタンの攻撃を受け、耐え難いような試練・苦しみを受けました。
この箇所の『苦しみ』も、サタンから来る『苦しみ』が取り上げられています。
 この手紙の受取人の兄弟姉妹たちには、迫害に伴う「苦しみ」と理解できたでしょう。

私たちの受ける『苦しみ』がどんなに大きくても、自分だけ苦しむのではないのです。
→“……世界中で、あなたがたの兄弟たちが同じ苦難を通ってきているのです。”
『苦しみ』がどんなに辛く、耐え難いもののように思えても、私たちの信じる神様は、
→“あらゆる恵みに満ちた神”です(10節)。
私たちは、試練のただ中では、恵みを見失いやすい者ですが、
 試練の中でも、意識的に“あらゆる恵みに満ちた神”を見上げ、恵みを数える必要があります。

◆パウロは、肉体のとげが取り去られるように、三度も祈りました。
肉体のハンディを取り除いて欲しいと、必死になって祈りました。
主からの答えは“わたしの恵みは、あなたに十分です。”でした。
・恵みが不足したので、あなたに試練が生じたのではない。
・恵みが欠けているので、あなたの苦しみが大きいのではない。
・恵みが不十分なので、あなたの苦しみが長引いているのではないと、神様が語られました。
試練のただ中でも、神の恵みは十分に与えられているのです!
私たちは、信仰によってその恵みに気づくことが大切です。

◆アブラハムの女奴隷に、ハガルと言う女性がいました(創21章)。
  家庭に問題が起こり、ハガルが家から追放されました。
  彼女は荒野をさ迷い、皮袋の水が尽きたとき、生きる希望が断たれたと知り、
   息子のイシュマエルと少し離れて、飢え死にしようとしていましたが、
    母親として、残念無念で「声を上げて泣いた。」と聖書は記しています。
  不思議なことに、“神は少年の声を聞かれた”と2回も記されています。
   母親は現実的で、夢も希望も持てなかったようです。
   しかし、少年イシュマエルは信仰的で、冷静に神に祈ったのでしょう。
その後に、“神がハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見つけた。”と書かれています。
  親が、子供から教えられ、子供に助けられることは、いつの時代にもあることです!

“あらゆる恵みに満ちた神”は、私たちを救い、
 “キリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れて下さった神ご自身”です。

◆しかし、私たちが試練に会いますと、近視眼的になり視野が狭くなります。
  目先の苦しみしか見えなくなるものです。
 そして『苦しみ』の中で、「なぜ?」「どうして?」と、頭をかかえて、うめき苦しむのです。
試練の時に、み言葉によって、信仰によって、霊的な視野を拡大する必要があります。
試練は、地上レベルのもの、試練は一時的で、決して永遠に続くものではないのです!

 “あらゆる恵みに満ちた神”は、私たちを“キリストにあって
  永遠の栄光の中に招き入れて下さった”との事実に目覚める事が大事です!
霊の目が開かれると、長く続くと思う苦しみの期間が、
  “しばらくの苦しみの後で……”とあるように、短期間です。
 また、苦しみがもたらす、良い結果も理解できるようになるものです。
  “……回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。”

11節。ペテロは自分の信頼している神様は、悪魔を支配し、試練をも恵みに変えられると認めて、
    “あらゆる恵みに満ちた神”に栄光をお返しして、祝祷を捧げます。

◆私たちは、この世に置かれている間は、不安・苦しみ・ストレス・緊張などは避けられません。
それを友とするか、敵に回すかによって、私たちの心の状態が変わって来ます。
 現実を正しく捕らえて、その中で『神の恵み』をしっかりと受け止めようではありませんか。
 私たちがどんな状況に置かれても、
 “あらゆる恵みに満ちた神”を、心からほめ称えようではありませんか!


◆応答の時◆










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