11-206「キリストを主とあがめる」 ペテロ第一3:8~12 
                             (F114)  2024.07.21

お早うごさいます。
世界中のニュース・情報がすぐにキャッチできる時代です。
私たちはその情報の嵐の中に巻き込まれないように
自分の心をコントロールする必要があります。
そのために、創造者なる神・救い主イエス・キリストに進み出て、礼拝を捧げることが大切です。

<祈り>

今朝は、先週に続き、ペテロの手紙第一の3章8節から、神様のみ言葉を学びましょう。
主のみ前にへりくだり、み言葉をいただき、心を点検したいと思います。

ごく平凡な漁師シモンが、キリストに出会ってから『ペテロ』と呼ばれ、
新しく造り変えられました。
彼は、網を捨てて、キリストの弟子入りした後、それまで経験したことのない
 忙しい日々でしたが、毎日毎日、充実した生活であったでしょう。
 キリストの弟子としての歩みには、み言葉があり、賛美があり、祈りのある日々でした。
彼は晩年に厳しい迫害を受けました。その時に「逆さ十字架」につけられるようにと願い出て、
 ローマで殉教の死を遂げたと伝えられています。彼は信仰によって天国に凱旋したのです。

8節。“最後に言います。”
手紙の途中にもかかわらず、“最後に言います。”と書いています。
ペテロは思い残す事なく、大切な事を、早く伝えておきたかったようです。
今ここで書いておかないと、後になって悔いが残るのを恐れ、重要な事をまず話そうとしています。
普通は、話にしても、手紙にしても、
  『最後に言います』と言えば、締めくくり、結論ですから、手短になるものです。
しかし、ここでは、まだ手紙の中程です。
  『最後に言います』と記した後、延々とペンを走らせています。
心から泉がわき出るように、次ぎ次ぎと、あれもこれもと、神の教えが出て来たのでしょう。

ペテロは、自分では、この辺りでペンを置こうと思ったかも知れません。
しかし、聖霊なる神が、彼の人間的な思いを止めて、
  彼を用いて私たちのためにも、大切な真理を伝えて下さったのではないでしょうか。
神は、私たちの人生の全般に、深い関心をお持ちです。ですから、
  神様は使徒ペテロを用いて、手紙を書かせ続けられたのでしょう。

◆使徒パウロが、伝道旅行の途中、トロアスを出発する前日の日曜日に「聖餐式」を行うために、
  一同が集まりました。
パウロの話が夜中まで延々と続いたので、眠気に襲われた青年が3階から転落しました。
転落死した青年が、奇跡的に甦らされたその後も“明け方まで長く話し合った”と記されています。
パウロもその時、『最後に話します』「もうすぐに終わるので」と言いながら、ついつい長くなった?

ペテロは、8節の中で、短い言葉を選んで、5つの大切な事を教えようとしています。
 「幸いなクリスチャン生活の秘訣」と言えるでしょう。
ペテロは、これまで、迫害によって、諸外国に離散しているクリスチャンたちに、
 神のみ言葉に従順であるように、神のみ心に服従するようにと、教え諭してきたのです。
  1:13~16, 2:13,18

3章では、先週学んだように、
 妻には「自分の夫に従いなさい」、
 夫には「いのちの恵みをともに受け継ぐ者として(妻を)尊敬しなさい」と勧めました。
ペテロは、ここで、服従の原則を、
 社会生活から家庭生活へ、更に家庭生活から教会生活へと当てはめているようです。

1.“一つ思いになり”とは、「心を一つ」にすることです。同じことを心がけることです。
 キリストを信じる者たちにとって、これ程大切なものはないと思います。
 私たちは、キリストにあって、一つの神の家族の仲間に入れていただいています。
 キリストから離れたならば、私たちはバラバラになり、決して一つになることはできません。
さまざまな相違点を持った者たちが、キリストの下に集められているのです。

ヨハネの福音書17章には、イエス様ご自身が父なる神に捧げられた祈りが記されています。
その祈りの中で、この世に残される弟子たちが仲間割れし、分裂することのないように、即ち
   彼らが『一つとなる』ために、熱心な祈りが捧げられました。
・一致の理想的な状態→ 11節“わたしたちと同じように……”
             22節“わたしたちが一つであるように……”
 ・一致の秘訣→ 21節“父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたうちにいるように
             すべての人を一つにしてください”→ と信頼関係の重要さを祈られました。
・一致の完成・実現→ 23節“……彼らが完全に一つになるためです” 

使徒の働きの中に、初代キリスト教会の素晴らしい姿が記されています。
   イエス様の教えに聞き従っています。
  “彼らはみな、……いつも心を一つにして祈っていた”(1:14)
  “みなが同じ場所に集まっていた”(2:1) ペンテコステ(五旬節の祭り)の時。
“そして、毎日、心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、
   喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、……”(2:46)
  “これを聞いた人々は心を一つにして、神に向かって声を上げた。”(4:24)
“さて、信じた大勢の人々は心と思いを一つにして、……”(4:32)
私たちは「使徒の働き」を受け継いで、この時代に生かされています。
  初代キリスト教会の信徒たちが、心と思いを一つにして、礼拝を捧げたように、
   私たちも祈り、主にお仕えするときに、主が喜ばれます。、
 ☆ネヘミヤ8:10“………今日は、私たちの主にとって聖なる日である。
           悲しんではならない。主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。”
  新共同訳聖書では、
  “……主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。”と訳されています。
私たちは、礼拝を捧げることによって、
 ・内にあっては、感謝・喜び・愛があふれるようにされます。
 ・外に向かっては、伝道の勇気と確信が与えられます。→『使徒の働き』がそのことを証しています。

2.“同情し合い”とは、「同情する心」を身につけることです。
“喜ぶ者と一緒に喜び、泣く者と一緒に泣きなさい。”(ローマ12:15)
“もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、”
もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。”(コリント第一12:26)
『同情』→ 日本語では「同じ感情を持つこと」。英語でも、シンパシィー「一緒に感じる」
  他の人の苦しみや悲しみを、自分の事のように感じ、その人と一つになること。
古い自我に死に、キリストの愛に満たされて、初めて『同情し合う』ことができるのです。

3.“兄弟愛を示し”とは、「兄弟愛の心」を持ち、行動することです。
ペテロは、すでに1章22節で、兄弟愛を勧めています。
兄弟愛は、主の教えとお手本にまでさかのぼって、考えておく必要があります。
ヨハネの福音書13章の、
1節には“……世にいるご自分の者たちを愛してきたイエスは、
       彼らを最後まで愛された。”と記されています。
その後イエス様は腰をかがめて、弟子たちの汗と埃にまみれた汚い足を順番に洗って行かれました。
  そして、“わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。
       互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、
       あなたがたも互いに愛し合いなさい。”(34節)とお命じになりました。
『兄弟愛』と聞けば、少し次元の低い、単なる横の関係のように思いやすいのですが、
“わたしがあなたがたを愛したように”とお語りになるイエスとの縦の関係に基づく、
   高い基準が示されているのです。 
使徒ヨハネは、“神を愛する者は、兄弟も愛すべきです。
         私たちはこの命令を神から受けています。”と
説明の必要がないほどに、はっきりと語っています(ヨハネ第一4:21)。

4.“心の優しい人となり”。
今日ほど不安な要素が多くて、不確実・不安定な時代は、かつて無かったのではないでしょうか。
頼れるものが無くなり、自分と自分の家族を守るのに精一杯で、
  人のことを考えている余裕の無い人が増えています。
今日は、『心の優しさ』と言う感覚を失いやすい時代と言えます。
    →「様々な弱さを持った人への優しい思いやり」が大切と言えるのでは?
ペテロは、2章10節で“……あなたがたはあわれみを受けたことがなかったのに、
  今はあわれみを受けています。”と記しています。
 山上の垂訓の中で主イエス様は、
  “あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるからです。”マタイ5:7
 あわれみがなくなれば、世の中は潤滑油の欠けた機械のように、
  雑音や騒音が発生するのです。→ 批判、陰口、差別や憎しみ、妬みや争いが起こって来ます。

5.“謙虚でありなさい”とは、謙遜な心、謙虚な心を身につけることです。
世の中に、ほんとに謙虚な人がおられます。性格的に謙虚・謙遜な人がおられます。
しかし、キリスト者の『謙虚』は、2つの事実から生まれてくるものです。
①私たちは、神に造られた被造物であるという意識を持つこと。
②キリストにより救われた罪人に過ぎないという意識を持つこと。
もし私たちが、この2つの事実、2つの意識を忘れると、すぐに傲慢になってしまうのです。

◆イエス様が、ご自分の上に起こる出来事を、弟子たちに始めて、はっきりと話された時
  のことを考えておきましょう。
“人の子は必ず多くの苦しみを受け、捨てられ、殺される”と予告された時に、
ペテロは、イエス様を、わきにお連れして、いさめ始めたことがありました。
   頑強なペテロは傲慢だったのでしょう。
   心の中で「先生、私が側にいるので、大丈夫」と思っていたかも知れません。
 イエス様はペテロに「下がれ。サタン。」とお叱りになりました。
  ペテロは、この手紙の最後の章で、イエス様の言葉を思い出したのか、
 “……みな互い謙遜を身に着けなさい。
  「神は高ぶる者には敵対し、へりくだる者には恵みを与えられる」のです。
  ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。
  神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくだいます。”(5:5,6)と語っています。

ペテロはこの8節の中で、幸いなクリスチャン生活の秘訣として、5つの大切な事を教えています。


◆応答の時◆

1.“一つ思いになり”
2.“同情し合い”
3.“兄弟愛を示し”
4.“心の優しい人となり”
5.“謙虚でありなさい。”











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