11-205「いのちの恵みをともに受け継ぐ者」 ペテロ第一3:1~7 
                             (F113)  2024.07.14

お早うごさいます。
今朝もご一緒に、創造者なる神・救い主イエス・キリストに礼拝を捧げることができる
 この恵みを感謝しましょう。

<祈り>

最近のさまざまな事件は、私たちの住む、この世が罪人の集団であると証明しています。
罪の氾濫している世の中には、私たちの理解に苦しむことが多くありますね。
さまざまな不正や犯罪、恐ろしい事件や悲しい事故、いろんな人間関係で苦しみます。
なぜ? どうして? と首をかしげたくなること、心を痛めることがたくさんあります。

◆詩篇73篇の作者アサフは、神から目を離したために、
 つまづき、信仰を失いそうになった証しを、率直に述べています。
“それは、私が悪しき者が栄えるのを見て、誇り高ぶる者をねたんだからだ。”と(3節)。
アサフは、礼拝に上って神のみ前に静まった時、先を見通し、解決することができたのです。
28節“……私にとって、神のそばににいることが、幸せです。
   私は、神である主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げます。”
この世の中で、平安で幸せな生活を送るには、
 私たち人間の起源、人間の成り立ちを、正しく知ることが大切です。
 しかも、神様はご自分のかたちに似せて、人を造り、男と女に造られたからです。
創世記1章26~28節
“神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。
 こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを
  支配するようにしよう。」
 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、
  男と女に彼らを創造された。
 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。
 「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。
  海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」 ”
2章7節に、
“神である主は、大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。
  それで人は生きるものとなった。”と記されています。
創造者なる神は、人を「男と女」に創造されました。
男 → 田+力 → 野原で狩りをしたり、田畑で農作業するために、力仕事を要求された人。
女 → 子供を宿す体型から生まれた象形文字。
“神のかたちに似せて人間を創造し、男と女とに彼らを創造された。”このみ言葉を素直に
  受け止められない人々がおられます。

◆最近、「性同一性障害」というハンディが、公に話題にされ始めました。
体の性と心の性が一致しない性的少数者「LGBTQ」と言われる方たちがおられます。
何年も前の毎日新聞の夕刊の記事を紹介します。
  23歳の就活支援サイトの運営会社の新入社員である森田沙也加さんが、
  ご自分もLGBT、トランスジェンダーで、就職に苦労された経験から、インターネットで
登録するとき、氏名、生年月日に続き、性別欄の「男か女」で、戸惑う人がいるので、
  「その他」の言葉を入れることを社長に提案され、すぐに受け入れられたとのこと。
森田さんは、女性として生まれましたが、幼いころから性別に違和感があり、
大学3年生のときに性的少数者を支援するサークルに入り、自分がトランスジェンダーで、
男性でも女性でもなく、「Xジェンダー」であると確信したと記されていました。
DNA・遺伝子のいたずらで、ごく少数であっても、自分は「男」、自分は「女」と言い切れない
  人もおられ、迷い、苦しんでおられる方がおられることを知っておく必要がありますね。
多くの成人した男女が、愛によって結ばれ、結婚によって、男が夫に、女が妻になります。
いろんな事情で、男性も女性も、一生涯独身で過ごされる方もおられます。
 カトリック教会の神父は、独身を貫かれます。
成人した男女は、生活能力と責任感とを身につけた上で、愛に基づいて正式に結婚します。
子どもが授かる場合とそうでない場合とがあります。
子供が生まれると、夫は→ 父、妻は→ 母になります。そして、
  夫婦は更にお互いの愛情と信頼、また家族全員に対して責任感が求められて来るのです。
1節。“同じように”→ 使徒ペテロはこれまで『従うことの大切さ』を記してきましたが、
            家族関係にまで適用しようとしています。
2:18“しもべたちよ。敬意を込めて主人に従いなさい。………”
従うことのお手本として、イエス・キリスト様を指し示しました。→ 
  2:21“キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと
       あなたがたに模範を残された。………”
“同じように、妻たちよ。自分の夫に従いなさい。”
これは神のご命令です。 既婚女性の皆さん、ご主人に従っておられますか。
 「主人が変わらないと、今のままでは従うことはできない。」
 「価値観が違うので、従うことはできない。」と言わないで戴きたいのです!
聖書は何と語っていますか。→“たとえ、み言葉に従わない夫であっても、……”
  クリスチャンでない・未信者の夫であっても、従いなさいと、勧めています。
“同じように”→『従うということ』にならってと言う意味です。→
  2:18を参考にすれば、“敬意を込めて”“自分の夫に従いなさい”と言う事です。
 具体的には、
 1.1節“無言のふるまいによって、………”
文句タラタラ、愚痴ブツブツではなく、“敬意を込めて”黙って従いなさい。
すべてをご存じの神様にお任せして、黙々と従いなさいと語られています。
2.2節“……神を恐れる純粋な生き方を目にするのです。”
祈って物事を始めることです。
     感謝の気持ちを素直に表すことです。
悪ければ「ゴメン」と謝る謙った心を持つこと。神第一の生活をすることです。
妻が信仰により良いように変えられて行く時に、
  夫も神に関心を示し、“神のものとされるためです”(1節)と約束されています。
夫も同じ信仰を持つようにされることを神様は願っておられます。
 そのために、忍耐強く夫のために祈り、また夫に従い続けることが大切です。
3,4節には、実際的な心得が示されています。
 “………外面的なものでなく、………心の中の隠れた人を飾りとしなさい。
  それこそ、神の御前で価値あるものです。”
外面的なものは、形が崩れ、色あせて行くものです。一時的で、役に立たないことが多いのです。
それに対して、内面的なものは、さらに輝きを増し、魅力的になり、人を慰め、励まし、潤します。
5,6節には、実例が上げられています。
サラは夫アブラハムを“「主」と呼んで従いました。”→ サラの信仰がそうさせたのです。
彼女は、夫を神様でもあるかのように、“敬意を込めて”謙って従ったのです。
なぜ聖書は、妻が夫に従うことを求めるのでしょうか。
コリント第一11:3に、普遍的な原則が記されています。
 “しかし、あなたがたに次のことを知ってほしいのです。
  すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。”
 使徒パウロは、創世記に記された創造の秩序から、この大切な原則を示したのです。
ペテロも、ここで同じ原則に立って教えていると思います。
7節 → 夫に対する勧めがあります。
  妻に対する勧めは長く、夫の勧めの6倍ほどありました。
  2000年前、女性が社会的に低い位置にあり、さまざまな不利となる要素があったから?

◆夫の務め
1.思いやりの心
“同じように、夫たちよ、妻が自分より弱い器であることを理解して
   妻と共に暮らしなさい。”
アダムが初めて、自分のあばら骨から造られたエバを見たとき、深く感動して、
“これこそ、ついに私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名付けよう。
   男から取られたのだから。”(創世記2:23)
このときの、アダムの思いやり、いたわりの気持ちが、
   自然と起こったのではないかと推測できますね。

◆イギリスの小説家サマセット・モームの母は、誰も足元に及ばないほどの美人でした。
  それに対し、その夫は風采の上がらない不細工な男のようでした。
ある時に、モームの母に「あんな男と結婚して、どうして今まで忠実に仕えて来たんですか?」
   と質問された時に、
「それは、夫が一度も私の心を傷つけたことがないからです。」と答えたと言うのです。
☆イエス様の法律上の父ヨセフが母マリヤに示したのも、『思いやり』でした。
『思いやり』が、夫婦の絆をしっかりと結ばせるのです。
2.“弱い器”と認めること。
男と女を比較すると、女性は一般的に、肉体面、感情面において弱さを持っています。
夫には、妻の弱さを、よく理解することが求められています。
3.尊敬する。→ 一番大切な勧めではないでしょうか。
 男女は、神の前に、霊的に平等です。
結婚した男女・夫婦は、“いのちの恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい”と記されています。
ですから、クリスチャン夫婦は、ぜひ毎日、時間を聖別して、一緒に祈るときをもって欲しい。
“そうすりば、あなたがたの祈りが妨げられません。”
  祈りが妨げられないとは、心を合わせて一緒に祈れる事で、これは大きな恵みです!
 夫婦が一緒に祈り合うときに、恵みや苦しみをも分かち合うことが出来ます。
キリストの救いを受けた夫婦は、互いに助け合って、主の栄光を表すために励んで欲しいのです。
聖書は、妻には、夫に『従う』ことを、
    夫には、妻を『尊敬する』ことを勧めています。
これは、ペテロの個人的な勧めではありません。
ペテロを通して、神様が私たちに語っておられることです。

◆“いのちの恵みを共に受け継ぐ者”を、幅広く考えて見るのも有益と思います。
 私たちは、神の恵みによって生かされています。
ペテロの言葉のように“いのちの恵みを共に受け継ぐ者”とされています。
私たちの生涯で、どんなに辛く、苦しいことがあっても、“いのちの恵み”を
感謝し、命そのものを重く受け止める必要があります。

◆息子の学生時代に、担任の先生が、クラスの生徒全員を見回して、
 「君たちは、どんなことがあっても鉄道自殺だけはするなよ。体がバラバラになり、
  見苦しいし、多くの人々に迷惑をかけるからな。鉄道会社は何百万円もの損害賠償金を
  請求してくるし、親が一番悲しむよ。二番目に悲しいのは先生かな。絶対に自殺するな。」と。
◇20歳の時に、救われ、MB平野教会へ通いました。
その年の真夏、生野区の巽から自転車で教会に行く途中で、鉄道自殺がありました。
焼け切った線路の上で、バラバラになった肉片が、焼ける悪臭は、今も記憶に残っています。
7節の“……いのちの恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。”
このみ言葉を心に、しっかりと心に留めておくならば、
  自分の大切な宝として、思いやりの心、優しさ、赦し、平安、喜びを体験できます。
今週も、上を見上げ、天に宝を積む者として歩んで行きましょう。

◆応答の時◆








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