11-204「自分のたましいの牧者であり監督者である方」 
                ペテロ第一2:18~25 (F112)  2024.07.07

お早うごさいます。
7月に入ったばかりなのに、三重県桑名市では39.7度の暑さを記録。異常気象ですね。
災害級の暑さ。殺人的暑さと言われます。

今朝もご一緒に、創造者なる神に礼拝を捧げることができる恵みを感謝します。

<祈り>

もう一度、24節と25節を読んで見ましょう。
 “キリストは自から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。
  それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。
  その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。
 あなたがたは、羊のようにさまよっていた。
  しかし今や、自分のたましいの牧者であり、監督者である方のもとに帰った。”
この4つの文に、1つの大切な事実と、3つの大いなる恵みが述べられているのです。

まず1つの、大切な救いの事実をしっかりと受け止めましょう。
 “キリストは自から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。”
イエス・キリストは、私たち罪人のために永遠の救いを与えるために
人間の形をとって、2000年前に来てくだいました。
  イエス様は、父なる神に従順でした。
  イエス様は、不当な苦しみ・不合理な苦しみ・究極的な苦しみを受けられ、
  耐え難い厳しい状況にあっても、“………正しくさばかれる方にお任せになった。”
 掛け替えのないお方の尊い犠牲によって、永遠の救いのみわざが完成されたのです。

◆旧約時代には、罪の赦し、罪のきよめのために、
  こまやかな儀式を時間をかけて行う必要がありました。
 ・過越しの祭りには、傷のない犠牲の小羊が用意されました。
   (出エジプト12:1~2,5~9)。面倒な手順をふまなければならない。
 ・レビ16:21~22 → アザエルのやぎ。「スケープゴート」と呼ばれます。
 大祭司アロンは、“生きているやぎの頭に両手を置き、それの上で、イスラエルの子らの
   すべての咎とすべての背き、すなわちすべての罪を告白する。これらをその雄やぎの頭上に載せ、
   係の者の手でこれを荒野に追いやる。”と記されています。

◆ペテロは、預言者イザヤの言葉を思い起しながら、ペンを進めます。
  まるで絵を見るように、メシヤなるキリストの受難を鮮やかに記しました。
 イザヤ53:4~6
 “まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。………
彼は、私たちの背きの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれたのだ。……
  主は私たちのすべての者の咎を彼に負わせた。”

キリストの弟子ペテロが語る、大いなる救いの事実を、しっかりと心に受け止めましょう。
 十字架の出来事によって、いつの時代の誰でも、自分の罪を告白して、
  イエス・キリストを自分の救い主と信じることによって、救われるのです。

◆十字架と言うただ一度の出来事によって、3つの恵み・祝福が与えらます。
①大いなる解放です。24節の後半。
 “……それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。”
 “罪を離れ”→ 意味が弱い感じがします。離れ方には個人差が出てくるでしょう。
         口語訳、新共同訳聖書では“罪に死に”と訳されています。
“死ぬ”とは、感覚がなくなることですね。罪に対して、感覚がなくなり、
     罪の誘惑を受けることもなく、全く罪との関係がなくなることです。

◆私たちは、イエス様の十字架のみわざにより、さまざまな罪・咎の束縛から解放されるのです。
 罪を赦された者、新しくされた者として、“義のために生きる”ようにされるのです。
“罪を離れ、義のために生きる”生活→ これは古き人間・肉の力では、到底できない生活です。
  180度がらりと向きを変えた、コペルニクス的転回の生活です。

キリストに出会うまでは、誰でも『罪』を友とし、『罪』を道連れとしていたのです。
ですから、どんなに正しい心をもって道徳的に歩むようにと心がけても、
  『罪』が影のようにつきまとっていたのです。
うわべは紳士、淑女であっても、所詮、『白く塗られた墓』のような存在、生き方です。

◆姦淫の女性を材料にして騒いでいる人々に向かって、イエス様が、
 “…………「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」………
彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。
  …………
  わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。”            ヨハネ8:7~11

◆『罪』→「网」(法律のあみ)+「非」(非行の「非」で、よくないことを示す)
(漢字の部首の読み方は、あみがしら、よこめ)
悪いことをして、法律の網にかかること。
聖書の語る罪とは、創造者なる神を神と認めない、自己中心の生き方を指し、
すべての人は、罪人と言われています。
“罪を離れ、義のために生きる”とは、『聖別され』と『聖化された』を生活を意味します。
 私たちは、イエス様を救い主と信じたとき、罪を赦され、神の子として『聖別』されました。
神との関係で、立場上『聖別』されている。聖書では『聖徒』と呼ばれています。
聖書を学びながら、イエス様を信頼して、生活する中で“義のために生きる”ことができます。
  すなわち『聖化』されて行くのです。
前の白板に、図で示しましょう。
  コリント教会の兄弟姉妹は、“聖徒”と呼ばれていましたが、「聖化」は不十分でした。

②大いなる癒やしです。
 “その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。
 私たちは、生まれてから今日まで、様々な『傷』を受けて来た者です。
  人からのいじめや自分の持つ劣等感など、さまざまなストレスによって、
   心に・魂に傷を受けている者です。
 数々の罪によって、必ず死に至る、致命傷を負っている哀れな存在です。
  言い換えれば、私たちはすべて、いやされる必要のある者です。

最先端の医学もどんなに優れたカウンセラーも、いやすことの出来ない『傷』も、
 イエス・キリストの打ち傷のゆえに癒やされるのです。
◇この素晴らしい癒やしを、私は20歳の時に、体験させていただきました。
その時、私の心も体も、傷だらけ、クタクタ、ボロボロになっていました。
主イエス様は、実に不思議な医者で、その癒やしが今も、日ごとに与えられています。

“……その打ち傷のゆえに”
 “打ち傷”→ 単数か複数か? 多くの英語訳聖書は、複数形に翻訳しています。
マルコ15:15~20→ イエス様はむち打たれ、いばらの冠をかぶせられ、
                釘づけにされたので、当然「複数形」と思います。
しかし、原語のギリシャ語では、単数形になっています。
  “打ち傷”を1つ2つと数えられない状態でした。
  イエス様の全身が、傷だらけになり、イエス様の肉体は、
  一つの傷のかたまりのようになられたと言う意味と思います。
神の子イエス・キリストが、私たちの罪の身代わりとなって、不当な苦しみを、
  じ~っと耐え忍んで下さったのです。
それは、私たちの様々な傷をいやし、心も体も健康にするためでした。

25節に、3つ目の恵みが記されています。
 “あなたがたは羊のようにさまよっていた。
  しかし今や、自分のたましいの牧者であり、監督者である方のもとに帰った。”

③大いなる安全の回復と言ます。
“あなたがたは羊のようにさまよっていた”
あなたは、この言葉を素直に受け入れることができますか。

◆私は、灰色の浪人生活3年目に、十字架による救いをいただきました。
  救われて間もなく、母校に行き、部活の顧問の先生に、救いの恵みを証ししました。
喜んで貰えると内心期待していたのですが、
  「クリスチャンたちは、自分たち以外の者を“迷える羊”と白眼視している。」と
   意外な言葉が帰って来て、残念ながら、返す言葉がなかったのです。

神様が、“あなたがたは、羊のようにさまよっていた”とおっしゃるのです。
 羊が羊飼いから離れて、どんなにさまよい、どんなに疲れ、どんなに傷ついていても、
羊飼いが、諦めずに、徹底的に捜し出して、世話をして下さるのです。
“自分のたましいの牧者”→ 良き羊飼いであるイエス様を指しています。
  羊がどんなに愚かで、弱くても、羊飼いに従えば、安全で、幸せなのです。

私たちは、たましいの牧者・イエス様のみ顔を見ながら生活しているでしょうか?
良き羊飼いの声が聞こえる距離の範囲内で生活いるでしょうか?
 あまりイエス様から離れ過ぎて、イエス様のみ声が聞こえなくなれば、大変危険です!
“たましいの牧者”→ 優しさ、いたわり、温もりを感じさせる言葉です。
“監督者”→ 厳しさを感じさせるかも知れません。安心感を与える言葉です。
      “監督者”は、全体を注意深く見ているので、指図に従えば安全です。
  工事現場の監督、オーケストラの指揮者などを、想像すれば、理解の助けとなる!

私たちが、魂の監督者・イエス様の注意や忠告に、素直に従えことができれば、
 自分自身が平安で、心が成長し、群れ全体のためにも、良い結果が出てくるのです。
私たち一人一人が、“自分のたましいの牧者であり、監督者である方のもとに帰”る時に、
 安全が保障され、祝福が約束されているのです。

◆ヨハネ10:11,14 (P.202)


◆応答の時◆
 1.大いなる解放(罪からの解放)
 2.大いなるいやし(心のいやし)
 3.大いなる安全の回復(まことの安心・安全)










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