11-198「素晴らしい身分を受けている者」ペテロ第一2:9~12 (F108)  2024.06.02

お早うございます。

今朝も教会に導かれ、集められて、
 創造者なる神、復活された救い主イエス・キリストに礼拝を捧げることができて感謝します。

<祈り>

この手紙の受取人は、迫り来る迫害のために祖国から逃がれ、
 異国の地で、不自由で、片身の狭い思いをしている避難民のクリスチャンたちです。
2000年前のキリスト者は、尊敬されたり、好感をいだかれることが多くありましたが、
 時には、偏見の目で見られたり、差別や迫害を受けるリスクもありました。
1章1節を読んで見ましょう。

5つの地名・地域の記された場所は、今のトルコです。
ユダヤの地から、今のトルコの広範囲に離散して、寄留しているキリスト者たちは、
地理的に離れ離れになっていて、互いに顔を合わせる事もなかったでしょう。
 しかし、キリストにあっては、一つのからだに結び付けられ、一つの神の家族でした。
使徒ペテロは、異国に離散して、寄留しているキリスト者、
 すなわち信仰の試練のただ中にいるキリスト者たちを励ますために、
 この手紙を書き送りました。

◆誰からか手紙を受け取れば嬉しいものですね。
 私たちからの励ましの手紙を待っている人がいるのではないでしょうか。
感謝なことに私たちには、聖書のみ言葉によって、
  どんな人をも励ますことのできる特権が与えられています。

この手紙の受取人たちは、この世的には、不安定な・社会的に弱い立場にいましたが、神の前には、
 今朝のメッセージタイトルにあるように「素晴らしい身分を受けている者」たちでした。
9節に、4つの「素晴らしい身分」が紹介されています。

①選ばれた種族。
この手紙の受取人たちは、多くの神を知らない異邦人たち・他民族に囲まれていましたが、
 キリスト者は、どこにいても、「選ばれた種族」「神に選ばれた種族」です。
この恵みの事実は、どんなに大きな励ましとなることでしょう。
 ◇1:1,2 “選ばれた人たち”→ 2回
 ◇イエス様の有名なみ言葉があります。
  “あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、……”
 ヨハネ15:16

②王である祭司。
 5節後半に、“……神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、
        聖なる祭司となります。”
 “王である祭司”とは、王の家系に属する祭司です。
 “聖なる祭司”であり“王である祭司”→ 信じがたいような、余りにも恐れ多い言葉です。
   自分は、とてもそんな者ではないと否定したくなるような言葉です。
祭司とは、ラテン語で、「橋をかける者」を意味します。
  祭司とは、人に代わって、聖なる神に、助けや赦しを求めて、
       とりなしの祈りを捧げる者です。
クリスチャンは、自分が見出され、愛されている救い主イエス様の下に、
         人々を連れて行く“聖なる祭司”の務めが与えられているのです。
 私たちは、なんと驚くべき変化を体験させていただいているのでしょうか!
私たちはイエス様によって、立場が180度も逆転する程の大きな恵みをいただいています。
“王である祭司”→ 王としての特権が与えられていると言うのでしょう。

私たちは、神の怒りの下にある、ごく普通の『罪人』にしか過ぎなかった者です。
 それが“祭司”とされているのです。
  プロテスタント教会の教えの一つは、「万人祭司」です。
   キリスト者は、すべて祭司としての特権をいただき、その務めを果たすように求められています。

③聖なる国民。
この言葉は、元エジプトの奴隷の民族であったユダヤ人にとっては、誇るべき言葉です。
 “聖なる国民”とは、なんと光栄に満ちた立場でしょうか。神の国の一員とされているのです。
 私たちは、天国に国籍を持つ、聖なる国民とされています。

◇イザヤ62:12(P.1274)

④神のものとされた民。
神は、ご自分の所有されるものを必ず、絶対的な主権をもって守られるお方です。
イエス・キリストは、ヨハネの福音書の6章37節で、
 “……わたしのところに来る者を、わたしは決して外に追い出したりしません。”と約束されました。
 ヨハネ10:28,29
 “わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、
   だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。………
   だれも彼らを、父の手から奪い去ることはできません。”

◆使徒パウロは、
 “だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。…………
  どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、
  私たちを引き離すことはできません。”ローマ8:35,39

◆ヘブル13:5
“………主ご自身が「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と言われた”

◆イエス・キリスト様は、どんなお方なんでしょう?
9節“あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に招してくださった方……”
  イエス・キリストは、罪の暗闇の中で、悩み・苦しみ・もがいていた私たちに、
愛の手を伸ばし、ご自分の尊い血によって、罪の一つ一つを赦し、清めて、
   神の子として、受け入れて下さったお方です。闇から光に、死から命に招かれたのです。

◆10節→ 脚注にホセア1:10,2:23とあるように、
      ペテロは、旧約聖書の預言者ホセアの事を考えていたのです。
  神は、預言者ホセアに“姦淫の妻をめとり、姦淫の子らを引き取れ”と
   耳を疑いたくなるような、命令をなさったのです。
それは、預言者の生活を通して、悟りの鈍いイスラエルに愛のメッセージを送られたのです。
長男が生まれた時には、『ロ・ルハマ(愛されない)』と名付けよと命じられ、
次男には『ロ・アンミ(わたしの民でない)』と、受け入れにくい名前をいただいたのです。
妻ゴメルはその後、夫を捨て、子供を捨て、肉の欲の奴隷となって他の男を求めて行きます。
しかし、計算どおり事が進まず、彼女は苦難・試練の中で、自分の過ちに気づきました。
   頭を打ち、破れかぶれになって、夫の下に帰ります。
  寛大な夫・預言者ホセアは彼女を赦し、受け入れるのです。
ロ・ルハマ(愛されない)→ ルハマ(愛される者)、
ロ・アミ(わたしの民でない)→ アンミ(わたしの民)と呼ばれる。
  預言書ホセアは、自分の家庭の中で起こった苦しく、また悲しい出来事によって、
   神がイスラエルの民をどれほどに愛しておられることかを、体験的に知ったのです!

“聖なる祭司”の、具体的な重要な務めが2つあります。

①祈り、即ち、とりなしの祈り(ほかの人のために祈る祈り)です。すでに学びました。

②9節に
 “ご自分の驚くべき光の中に招してくださった方の栄誉を、あなたがた告げ知らせるためです”
  とあります。
旧約時代の祭司は、動物の血を携えて、神のみ前に行き、人々に罪の赦しを伝えました。
新約時代の祭司である私たちは、イエス様の十字架の血による赦しと、
   それに伴う数々のすばらしいみわざを伝える、非常に大切な、光栄に満ちた務めが
   与えられているのです。

 “聖なる祭司”“王である祭司”とされている私たちは、
この「とりなしの祈り」と主イエス様がして下さる、多くの“すばらしいみわざ”を
  伝えることに、日々、励むように求められています。

使徒ペテロは、説明を必要としない単純明快な言葉で、
 異国の異邦人たちの中にいる兄弟姉妹たちを励ましています。
最後に、11,12節のみ言葉を読んでみましょう。

今週も私たちは、過ぎ去る時に押し流されないで、
 時間を聖別して「とりなしの祈り」をささげ、
 神の“すばらしいみわざ”を伝えることに励みもうではありませんか!
“異邦人の中にあって立派に”振る舞うことができますように祈りましょう!

◆応答の時◆









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