11-197「主のもとに来なさい」 ペテロ第一2:4~10 (F108)  2024.05.12

お早うございます。

今朝も、私たちがこの場所・教会に集められ、礼拝を捧げているのは、
 不思議な「主の選び」と確かな「主の招き」があったからです。
今朝は、「主のもとに来なさい」との、招きの恵みを学んでみましょう。

<祈り>

このペテロの手紙の受取人は、迫害のために祖国から逃がれ、
 異国の地で片身の狭い思いをしているクリスチャンたちです。
2000年前のキリスト者は、尊敬されたり、好感をいだかれましたが、
 時には、偏見の目で見られたり、差別や迫害を受けるリスクがありました。
 信仰の試練のただ中にいるキリスト者を励ますために、この手紙が送られたのです。

3節“あなたがたは、主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わいました。”
ペテロは手紙の受取人たちに“主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わいました。”
この恵みの事実を、思い出し、堅く信仰に立ち止まって欲しいと願っています。
ダビデなら、“主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな”と語るでしょう。

ユダヤの地から、今のトルコに離散して、寄留しているキリスト者たちは、
一つにされ、一致団結して、松明(たいまつ)のように束ねられ一つになって燃える必要が
 あったのに、花火のように消えようとしていました。
地理的に離れ離れになっていましたが、あなたがたはキリストにあって一つにされている、
 と霊的な結束を訴えたのです。
 
3~4節“あなたがたは、主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わいました。
     主のもとに来なさい。………”

◆私たちも、今朝“すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
 わたしがあなたがたを休ませてあげます”と招いていてくださる“主のもとに来”ています。
主のもとに集められています。(マタイ11:28)
この恵みの事実を心から感謝しましょう。

4節の“主は、人には捨てられたが神には選らばれた、尊い生ける石です。”
 との、み言葉は、イエス様の十字架の死と復活を意味していますね。

5節“あなたがた自身も生ける石として、霊の家に築き上げられ、
   神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して捧げる聖なる祭司となります。”

◆まず『も』という短いけれども、大切な「助詞」に注意する必要があります。
 文法的には、『も』という言葉に、いくつも使い方がありますが、ここでは、
 ある特定の事柄と、共通点のあることを気づかせる言葉として、『も』が用いられています。
4節と5節を比較しますと、「生ける石」と言う言葉が、2つの節に出て来ます。
 イエス様も私たちも、「生ける石」として、『同じ』復活の命を持つ者であり、
  神の恵みを『共有』する者であるとの霊的な事実が示されているのです。

◆残虐な無差別テロ事件が、世界各地で起きています。
その原因の一つは、貧富の格差に対する反抗・反発です。
富める者への妬みが憎しみに変わり、憤りとなって爆発するのです。

◆私たちキリスト者は平和を愛し、幸せを求められるイエス様をお手本として歩んで行けば、
  変動する時代の波に、もてあそばれることは決してありません。

“あなたがた自身も生ける石として………”
『も』→ 私たちをイエス様と結び付ける言葉です。
6節“「見よ、わたしはシオン(エルサレム)に、選らばれた石、尊い要め石を据える。
この方に信頼する者は、決して失望させられることがない。”

イエス様は、全人類の救い主であり、生ける神の神殿の土台であると言うのです。
 イエス様は、“神に選らばれた石、尊い要め石です。”
 イエス様を信じるあなたがたも“生ける石”とされていると、ペテロは神の恵みを記しました。
ペテロは、祖国から追放されて試練の中にいるクリスチャンたちに、
 あなたがたは、以前は、役に立たない、見捨てられた石であった。しかし、今はそうではない。
 “生ける石として霊の家に築き上げられなさい。”と励ましているのです。

Q.あなたは『生ける石』とされていますか。
『生ける』とは、神によって、復活されたキリストによって『生かされる』ことを意味します。
・人は、生かされて始めて、生ける神様のご用に役立つ者とされます。
・人は、聖められて始めて、聖い神様の目的にかなう者として用いられます。
そして、「生ける・尊い要め石」であるイエス・キリストの上に、
   私たちの小さくてユニークな「生ける石」が積み上げられ、
   最終的に、大きな『霊の家』、『神の目的を果たす神殿』が完成されて行くのです。

◆ここで受け止める大切なことは、私たちは、孤立してはいけないと言うことです。
 イエス様を土台とする神の神殿の大切な一部なのです。
 私たちは、神の家族一員で、キリストの体の一部であることを、心に刻んでおく必要があります。

◆ヘブル10:25
 “ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。
  その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。”

◆『生ける石』とされた私たちは、自分の納まる場所を、自分では決定できません。
土台のすぐ上にとか、正面入り口のよく目立つ所になどと、自分の場所を指定できないのです。
偉大な建築師である神が、全体のバランスや個々の石の形や強さを考えて、
  最も良い場所に置き、全体を築き上げられます。
☆私たちに求められるのは、神への信頼です。
6節の後に“………この方に信頼する者は、決して失望させられることがない。”

“聖なる祭司となります”→ 余りにも恐れ多い言葉ですね。
              自分はそんな者ではないと退きたくなるような言葉です。
 祭司とは、罪人の代わりに、聖なる神に、助けや赦しを求めて、とりなしの祈りを捧げる者です。
私たちは、神の怒りの下にある、ごく普通の『俗なる罪人』にしか過ぎなかった者です。
それが“聖なる祭司”とされているのです。
 9節には“王である祭司”(王の家系に属する祭司)とまで言われています。
何と言う、驚くべき変化を体験させていただいているのでしょうか!
私たちはイエス様により、立場が180度も逆転する程の、大きな恵みをいただいています。


◆イエス・キリスト様は、どんなお方なんでしょう?
3節“主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わいました。”
 4節“主は、人には捨てられたが、神には選らばれた、尊い生ける石です。”
 6節“「見よ。わたしはシオン(エルサレム)に、選らばれた石、尊い要石を据える。……」
7節“……「家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった。」……

“尊い要の石” 英語では「コーナー ストン」です。
建物で大切な基礎・土台となる石です。
少し大きな建物では、基礎となる部分に
  「定礎○○○○年」と石に刻んだり、プレートを入れます。
“霊の家”(5節)(単数形の名詞)→ 一つの“霊の家”です。
 私たちは、救い主イエス様が“尊い生ける石”で、一つの“霊の家”の
  一部分に組み込まれている、大切な存在とされています。

今朝、「主のもとに来なさい」と勧められている恵みをしっかり受け止め、
 今週も日ごとに「主のもと」に止まり続けましょう。


【応答の時】











交通機関のご案内 地図・案内交通機関のご案内 地図・案内

イエス・キリストの生涯を映画で見るイエス・キリストの生涯を映画で見る

交通機関のご案内 地図・案内交通機関のご案内 地図・案内