11-196「霊的な成長・成熟をめざして」 ペテロ第一2:1~4 (F107)  2024.05.05

お早うございます。

今朝も、教会に集められて、まことの神様に礼拝を捧げられる恵みを感謝します。
今朝は、み言葉によって新しく生まれ変わったキリスト者の理想的な姿「霊的な成長と成熟」について、
 学びたいと思います。「成長と成熟」は、すべてのキリスト者にとって大切な課題です。
メッセージタイトルは「霊的な成長・成熟をめざして」としました。

<祈り>

まず、言葉の意味合いについて考えます。
・成長:(長くなる)外面的、外形的なことを言いますね。
     赤ん坊の時から、身長が伸びた、体重が増えたなど、肉体的な成長を意味します。
・成熟:(熟する)内面的なことをさします。

◆親にとって、生まれた子供が日に日に成長するのは楽しみです。
 ところが、よちよち歩きを始める頃に、自分の子供が歩かない、また、
 おしゃべりを始める頃なのに、何も話さないとすれば、
 親はどんな気持ちになるでしょうか?
誰でも、容易に想像できますね。心配になり、不安で夜もおちおち眠れなくなることでしょう。
私たちの霊の父なる神は、私たちがキリストにあって、霊的に成長し成熟するのを
 楽しみにし、忍耐強く待っておられます。
1節“ですから”→ その前の大切な部分を受けて、話しを一歩進める「つなぎの言葉」です。
1章と2章との、懸け橋となっている「大切な言葉」です。
私たちが今開いているペテロ第一の手紙1章には、
 信仰ゆえに国外追放され、厳しい試練にある兄姉たちを励ますために、
決して変わらない『神の選びの恵み』『神の救いの恵み』を、ペテロは伝えようとしています。
彼は『救われる』という素晴らしい事実を、『新しく生まれる』とも表現しています。

◆1章の3節と23節を読んでみましょう。
 私たちキリスト者は、決して朽ち果てない種・必ず実を結ぶ種である、生ける神のみ言葉により、
 新しく生まれた者です。
私たちは、生ける神から新しい命をいただき、神の子供とされているのです。
成長し、成熟するために、とても大切なことが1~2節に記されています。
“ですからあなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、
 すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、
 純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。”
“生まれたばかりの乳飲み子のように、………”

◆赤ん坊・乳飲み子を抱っこしたことのある人は、だれでも分かるように、
赤ん坊は、体温が高くて、命の塊のようです。
 「まるで、火の玉を抱いているようだ」ともよく言われます。
成長期にある赤ん坊や幼子は、新陳代謝が激しいからですね。
健康な体を造るために、栄養となる食事をどんどん食べ、消化吸収していく必要があるからです。
食事と共に、役目を果たして要らなくなったものをどんどん、排泄していくことも大切です。
私たちも、霊的に成長していくためには、霊的な新陳代謝が必要です。
成長を妨げるもの、害となるものを、惜しみ無くどんどん捨て、
霊的栄養に富んでいる、“純粋な、霊の乳を慕い求め”るように勧められています。

◆クリスチャンたちによる国際的なNGOの働きの一つに、『日本国際飢餓対策機構』があります。
皆さんに、その機関紙を毎月お渡ししていますから、世界の実情を理解しておられるでしょう。
 飢餓:私たち日本人には、最近お目にかからない、なじみの薄い言葉になっています。
極度の食糧不足により生命の危機にある状態、餓死寸前の恐ろしい状態は理解できなせん。
そのニュースレターの表紙に、最新の「世界の飢えの現状」が伝えられています。
  この数字に何十年も変化がありません。
・1分間に17人(うち12人が子ども)
・1日に2万5000人
・1年間では、約1000万人の人が、飢えのため命を失っています。
次の世代を担って行く、大切な子どもたちが、飢えのために1分間に12人、餓死しています。
信じられない恐ろしい数字です。単純計算すれば、礼拝中に1000人以上の子供が餓死している!
日本のプロテスタント教会の歴史は、152年になります。
 しかし、私たちの国では、健康なキリスト者は、依然として1%に満たないと言われています。
 霊的に病的であったり、霊的に餓死しそうなクリスチャンが多いのです。
 霊的な御馳走を目の前にしながら、それを食べないために、また偏食しているために、
  栄養失調になったり、病気になったり、また餓死しつつあるのです。なんと残念なことか!
その原因は、私たちにあるのです。
霊的な食欲不振が、大きな原因ではないでしょうか。
霊的な新陳代謝が、うまく作用していないからです。
栄養に富み、新鮮な神のみ言葉が、ちゃんと備えられているのに、それを食べないか、
  たとえ、食べても、十分に消化吸収されていないからではないでしょうか。
 霊的な新陳代謝のバランスが崩れているのです。
1節には、クリスチャンとして捨てるべきものが、5つ示されています。
その5つのものを出し切っていない、捨て切っていないために、霊的な渇きが起こらず、
霊的食欲不振になるのです。俗な言葉で言えば「霊的便秘症」のために、
 “純粋な霊の乳”が欲しくないのです。み言葉の必要を感じなくなるのです。

◆昔の事。掃除機が故障しました。子供が4人とも家にいて、エンゲル係数が高い時期に、
  生活費を切り詰めるために、粗大ゴミ置き場から、外観は新しい掃除機を拾ってきました。
  コードを差し込んでも、モーターの回転音がおかしいのです。
  中を開けてびっくりしました。ゴミが一杯つまったままでした。
   使っていた人が掃除機の掃除をしなかったので、故障したと誤解された?
 掃除機の中のゴミを捨てますと、元気に動きはじめ、一変に『パワーアップ』しました。

◆人間の作ったどんなに優れた掃除機でも、中のゴミを捨てないと、当然、吸い込む力が衰えます。
 同じことが、私たちの信仰生活にも当てはまります。
Ⅰ.『捨てるべきもの』 それを捨てないから、元気がなくなったり、なかなか成長しないのです。

1.悪意→ 悪、邪悪を意味する普通の言葉。悪いものを全部引っくるめる言葉。
イエス様は“人の心から出て来るものが人を汚す”と話され、心に潜んでいる13の罪を
   取り上げておられます。最初に言われたのが“悪い考え”です。(マルコ7章20節~)

2.すべての偽り→ 「事実でないこと。ありのままでないこと。また、だますこと」(広辞苑)
自己中心の醜い、。不純な動機や言動を指す言葉です。

3.偽善→ 新約聖書の中で、主イエス様が非常に強く非難されている罪です。
 奇妙な事に、昔のギリシャ語では、この言葉に悪い意味は少しも無いのです。
   “偽善者”という言葉は、元々「俳優」即ち、舞台の上で演じる「役者」を意味していた。
   俳優、役者とは、本当の自分を隠して、まるで別人のように芝居を演じる人です。
 ☆喜劇役者が、家で激しい夫婦ゲンカをしていたり、舞台裏で監督と言い争っていても、
   一旦、舞台に上がると、何もなかったかのように、
    お客さんには、にこやかに接し、お笑いを提供するのです。
☆偽善とは、心と顔、心と言葉が別々に違った現れをすること、自分をごまかす二心の状態。

4.ねたみ→ 古くて新しい罪です。誰もが、なかなか克服できない罪です。
       生きている間には、陰のようにいつも付きまとう罪です。
ねたみ→ 人と比較しては、心の平安を失う、ひずんだ心、ゆがんだ心の状態を表す言葉。
ねたみ→ 私たちをありのままに愛し受け入れて下さる神のみ前に出ない限り、
        決して、克服できない罪、解決できない罪です!
☆カイン→ 弟アベルの言動がねたましくなって、その隠れた罪に負け、弟を殺害したのです。
☆イエス様の弟子ゼベダイの子ヤコブとヨハネ→ “一人を先生の右の座に、一人を左の座に!"
他の10人の弟子たちは、それを聞いて腹を立てたとあります(マルコ10:37,41)。

5.悪口→ 有名な新約聖書学者のW.バークレーの言葉を紹介します。
   「悪口は、うわさの犠牲者がその場にいなくて、自己弁護できない時に、
常に起こるものである。……悪いうわさ話は、だれもが後になって悔い、
    だれもが悪いと認めているものの、同時にほとんどすべての人が楽しむものである。
    悪口ほど、伝染力、影響力、破壊力の大きな罪は、ほかにない。」
成長を妨げる5つの罪→ 悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口が指摘されています。
それぞれの言葉の前に「すべての」という言葉が、3回繰り返されています。強調されている!
神が嫌われる、悪いものは、全部・一切合切、惜しみ無く捨てるべきです!
 罪は、未練なく、思い切って、きっぱりと捨て去るように求められています!

◆私たちが聖書の実例から、自分の体験からも、次のように言えます。
 「悔い改めなくして、祝福はない。悔い改めなくして、成長することはできない。」と。
Ⅱ.『取り入れるべきもの』
 「捨てるべきもの」は5つありました。「取り入れるべきもの」は1つだけです。
2節“純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。”
生ける神のみ言葉は、私たちの霊・魂が成長するために欠かすことのできない食事、心の糧です。
毎日、食事をするように、毎日、聖書を読み、学び、消化吸収する必要があります。
静まり、へりくだり、祈りつつ聖書を読めば、神様が語りかけてくださいます。
 “生まれたばかりの乳飲み子のように、”無垢な心で、ひたすら聖書を読めば良いのです。
 生まれたばかりの乳飲み子は、お腹がすけば、火がついたように泣きます。
命の危機を母親に必死で訴えているのですね。
 私たちの霊的な命の成長・成熟には、不可欠な「霊の乳」「み言葉の乳」を、
  必死になって“慕い求める”事が大切ですね。

◆今朝、私たちは謙そんになって、乳飲み子から大いに学ぶ必要があります!
1,2節を、ご一緒にお読みしましょう!
ヘブル5:12~6:1“……成熟を目指して進もうではありませんか。”(P.442)


◆応答の時◆































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