11-192「預言者や天使のように神のご計画に期待する」ペテロ第一1:10~16 (回)
2024.03.17
お早うございます。
今は、自然災害や紛争・戦争のニュースが、すぐに手もとに届く時代です。
そのために多くの人々が、平安を失い安くなったとも言えます。
自然災害を想定してある程度備えをしたり、その時はその時と覚悟を決めたり………
私たちは、今日も平常通りに、神の家族の一員として、礼拝を捧げることができますのは、、
神様の憐れみと神様の恵みがあってのことです。
どうしても後回しにできない急用が起こったり、大きなケガや病気になれば、
一緒に集まって礼拝を捧げることができなくなります。
“ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、
むしろ励まし合いましょう。その日が近づいているのことが
分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。” ヘブル10:25
今朝のメッセージタイトルは
「預言者のように、天使のように神のご計画に期待する」としました。
神の救いのご計画を預言した預言者たちのように、み言葉の約束を強く信じたいものです。
また、神の救いの事実を伝えた天使たちのように、救いの完成を待ち望みたいものです。
<祈り>
聖書全巻(66巻)を通じて、一番大切なテーマは『救い』です。アダムとエバによって
もたらされた罪と堕落からの救いと回復が、イエス・キリストによって成し遂げられました。
『救い』→イエス・キリストの身代わりの死によって、私たちの罪が赦され、聖められること。
『救い』→私たちがこの世で経験する何よりも、素晴らしい最大最高の幸いな経験です。
永遠に関わる非常に大切な体験。→ 神の子とされ、天国に国籍を持つ者とされます。
ですから『救い』には、『喜び』が伴います。
6節“……あなたがたは大いに喜んでいます。”
8節“……ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。”
◆言葉で表現し尽くせない喜び。心の中に、じっとしまって置くことのできない喜び。
◎救われますと、心がウキウキ、ワクワクして、足が地につかない、天に昇るような気持ち!
◎救いとは、過去・現在・未来に及ぶ、実生活と関わるスケールの大きなものです。
イエス・キリストを信じている私たちは、
救いの過去、現在、未来について知っていることが大切です。
・過去においては、罪の刑罰から救われました。
・現在においては、罪の支配から救われます。
→ 罪の力、罪の束縛、罪の影響から救われます。
・将来においては、罪の存在から完全に救われます。
→ この罪深い体が、完全に贖われます。
Q.あなたは、『救い』をすでに経験されましたか? 今『救われて』いますか?
ペテロ第一の手紙の1章には、
『救われる』という大切な体験を、ほかに2つの別の言葉で表現しています。
①“神に選ばれる”1,2節 → すべての人を愛の中に選んでいて下さる神を
私たちが心の扉を開いてお迎えすれば良いのです。
②“新しく生まれる”3,節 → 生きて働かれる神によって、私たちは
新しく生まれ変わらせていただけるのです。
10節→“この救いについては、あなたがたに対する恵みを預言した預言者たちも、
熱心に尋ね求め、細かく調べました。”
『救い』と『恵み』の関係が記されています。
イエス・キリストによる救いを受ける前には、神の恵みがあったのです。
神の恵み、神のあわれみがなければ、救いの計画は立てられなかったのです。
エペソ2:8,9
“この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。
それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。
行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。” 『救い』という言葉に、 私たちクリスチャンは聞き馴れています。
ですから、軽く聞き流してしまう危険性があります。
メシヤ・救い主を預言した旧約時代の預言者たちは、
“熱心に尋ね求め、細かく調べました”と記されています。
◆私たちは、恵みによって様々な種類の日本語の聖書が与えられています。
“熱心に尋ね求め、細かく調べ”ることができるチャンスが与えられています。
11節“彼らは、自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、キリストの苦難と
それに続く栄光を前もって証ししたときに、だれを、そしてどの時を指して
言われたのかを調べたのです。”
◆私たちは、神のご計画で、これから実現しようとしている約束や預言について、
彼らのように真理の御霊に導かれ、助けられて“熱心に尋ね、細かく調べ”るような、
み言葉への探求心やワクワク、ドキドキするような信仰による期待感があるでしょうか。
『救い』とは、数々の素晴らしい宝が隠された宝島のようなものです。
宝を発見する手掛かりとなる確かな地図は、私たちが持っている神のみ言葉・聖書です。
神様が与えて下さる『救い』は、いくら強調しても強調し過ぎることのないほど、
私たち一人一人にとって必要であり、重要なもの、価値あるものです。
私たちの過去から現在、また永遠と関わりのあるダイナミックでスケールの大きなものです!
12節→“………それは御使いたちも、はっきり見たいと願っていることなのです。”
詳訳聖書では、
“これらの事は、み使いたち(さえ)も、うかがい見たいとしきりに願っている事なのです。"
愛の神が、私たちのために、ご計画し、ご用意して下さった『救い』とは、
神に仕えている御使いたちですら、一目見たいと真剣に願っていた程、素晴らしいものなのです。
神が与えようとしておられる最終的な、永遠の『救い』に関して、
私たちは、今以上に好奇心を持ち、また熱心に待ち望もうではありませんか。
もっと、熱心に、聖書の真理を探求しようではありませんか。
聖書の伝える『福音』は、それほど重要なもの、価値あるものです!
◆使徒の働きの8章に、エチオピアの女王に仕えている宦官の記事があります。
エチオピアから、ナイル川を北上して神の都エルサレムに行くには、2000㎞もの、
危険で困難な長旅をする必要があったのです。
信仰の篤いこの宦官は、女王の許可をもらってエルサレムでの礼拝を終えての帰り道、
馬車の中で何をしていたのでしょう。
疲れて眠っていた? 馬車の窓から珍しい景色を眺めていた?
なんと彼は、馬車にガタゴトガタゴトと揺られながら、
イザヤ書の53章(イエス様の十字架が預言されている)を読んでいたのです。
ピリポが近づきイエス様の話をしました。その宦官は素直にイエス様を信じ、
馬車から降りてバプテスマを受けました。すでに心の準備ができたいたからです。
◆ベレヤのクリスチャンたちは、“非常に熱心にみ言葉を聞き、はたしてそのとおりか
どうかと毎日聖書を調べた。”と記されています。(使徒の働き17:11)
◆私たちは、どれほど“熱心に、細かく”聖書を読み、学んでいるでしょうか?
救いの恵みをどれほど“はっきり見たい”『はっきり知りたい』と願っているでしょうか?
私たちにとって、非常に大切な『救い』を理解させ、体験させようとして、
神様は、私たちに『聖霊なる神』を、すでに送り、与えていてくださっているのです。
11節“キリストの御霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を前もってあかしされたとき……”
12節“……天から遣わされた聖霊により福音を語った人々を通して……”
主イエス様が、ヨハネの福音書の14~16章において、
聖霊は『助け主』、『真理の御霊』と呼んでおられます。
“………父から出る真理の御霊が来るとき、その方がわたしについて証ししてくださいます。”
“御霊はわたしの栄光を現されます。……”(15:26,16:14)
私たちは、聖霊なる神様のお働きを信じ、期待し、聖書を読み、また学び続ける必要があります!
もし、私たちが、聖書から遠ざかり、聖書を読まない生活をすると、
『御霊を悲しませたり』、『御霊を欺いたり』して、
御霊の働きが止められ、霊の目が曇り、霊の耳が聞こえにくなってしまいます。
その結果、『救いの確信』を失ったり、『救いの喜び』が奪われてしまうのです。
◆今朝の箇所は、短いために、見過ごされ易いですが、非常に大切な真理が記されています。
旧約の預言者たちのみ言葉に対する態度や、天使たちの関心事が何かを示しています。
◆旧約の預言者たちの多くは、メシヤ・救い主を預言しましたが、
いつ、どのように、具体的に神の救いの約束が実現するのか、大いに期待しました。
“熱心に尋ね求め、細かく調べ”たのです。
◆人類の救いは天使たちにとっても最大の関心事でした。
最初のクリスマスの夜、ベツレヘムの羊飼いたちに、重大なメッセージを告げました。
“恐れることはありません。
見なさい。私は、この民全体のために与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主かお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。” ルカ2:10,11
私たち人類の救いは、天使たちにとっても最大の関心事でした。
12節の最後に“……御使いたちもそれをはっきり見たいと願っています”と記されています。
◆イエス様は、ご自分の使命を強く意識されて、次のように話されました。ルカ15:7,10
100匹の羊を飼っている羊飼いが、夕方帰って見ると1匹がいなくなっていた。
探しに行って、迷った1匹の羊が見つけたら、羊飼いはどんなに大喜びするでしょう。
“ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない99人の正しい人ためよりも
大きな喜びが天にあるのです。”
失った大切で高価な銀貨一枚が見つかったら、持ち主の女性はどんなに大喜びするでしょう。
“一人の罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちの前には喜びがあるのです。”
◆テモテへの手紙第二 3章15~17節
“……聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰によって救いを
受けさせることができます。
聖書はすべて神の霊感によるもので、
教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。
神の人がすべてのよい働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。”
◆今週も、神の救いのご計画を預言した預言者たちのように、み言葉の約束を探求し、
また、天使たちのように、救いの実現を待ち望みたいものです。
◆応答の時◆