101「神の大きな憐れみ」ペテロの手紙第一 1:1~9 (回)  2024.02.18

お早うございます。

私たちは、先週から「ペテロの手紙第一」を学び始めました。
 先週は1章1~2節から『恵みと平安が……ますます豊かに与えられますように』との、
 み言葉を学びました。
今朝は3~5節より『神の大きな憐れみ』について、学ばせていただきたいと思っています。

<祈り>

この手紙の著者ペテロは、イスラエルの北に位置する風光明媚なガリラヤ湖で働く、
 ごく平凡な漁師でした。彼には妻があり、姑もいましたので、
 彼の手紙は家庭的で、日常生活に関わる実際的な内容に満ちています。
ペテロの手紙をゆっくり、じっくり読むと、温もりが不思議と心に伝わってくるように感じます。

ペテロは自己紹介に次いで、“選ばれた”という、とても重要な言葉を記しています。
“神に選ばれた”という経験は、神の神の『恵み』と『憐れみ』以外の何物でもありません。
・恵み→ 受ける価値のない者に対する神様の一方的な愛。
・憐れみ→ 裁かれ、滅び行く罪人に対する神様の一方的な憐れみ。

神は、憐れみ深いお方でいらっしゃるので、コリント第一1:26以下に記されているように、
 “愚かな者、弱い者、取るに足りない者、無に等しい”私たちを、敢えて選んで下さったのです。
コリント第一4:13 “……、私たちはこの世の屑、あらゆるもののかすになりました。”

今朝、学びたい箇所をもう一度、お読みしましょう。3~5節(READ)。
ペテロは、祝福の祈りをこめて挨拶を書き記した後、神に賛美を捧げています。
“私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように……”と。

◆私たちは、どんなに尊敬する人でも、人間を称賛・賛美するのでなく、憐れみ深い
  『主イエス・キリストの父である神』を心から称賛・賛美するように求められています。

賛美の理由として、父なる神様のご性質とみわざが述べられています。
私たちの持ち合わせている性質と、日々の行動とは、強く結び付いています。
ペテロの性質は、そのままペテロらしい行動を取らせています。
父なる神の素晴らしいご性質は、素晴らしい行いとなって表われています。
 ご性質→“大きな憐れみのゆえに”→ 今朝の説教題を『神の大きな憐れみ』としました。
みわざは→“イエス・キリスト”を遣わしてくださったことです。
神様のご性質について考えましょう。
“大きなあわれみ”→(新共同訳)“豊かな憐れみ”。(詳訳)“限りないあわれみ”
旧・新約聖書を通じて、神様のご性質の一つに
 『憐れみ深い』という言葉がよく用いられています。
私たちが、信じ・お従いしている神様は、実に『憐れみ深い』神様です。
・私たちの弱さや愚かさを、すっかり包み込んでくださる『憐れみ深い神』です。
・私たちの過ちや失敗を、全部赦して、尻拭いしてくださる『憐れみ深い神』です。
・私たちの数々の罪を、一つ残らず、赦し・聖めてくださる『憐れみ深い神様』です。

◆ダビデは、国王として最高の地位に着いていましたが、罪には打ち勝つことはできませんでした。
  姦淫と殺人の、2つの大きな罪を犯しました。そのダビデは、詩篇51篇1節において、
“神よ、私をあわれんでください。あなたの恵みにしたがって、
   私の背きをぬぐい去ってください。あなたの豊かな憐れみによって。
   私の咎を、私からすっかり洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。”と
  真剣に、悔い改めの祈りを捧げています。

◆アサフと言う詩人は、イスラエル民族の不信仰で罪深い歴史を振り返って、
  詩篇78篇38節に、
 “しかし、神はあわれみ深く、彼らの咎を赦して、滅ぼされなかった。
  怒りを何度も押さえ、憤りのすべてをかき立てられることはなかった”と記しています。
私たちの信じている神は、なんと寛大で、憐れみ深いお方でしょうか。

◆『憐』と言う漢字を考える前に、『痒』と言う漢字を考えてみましょう。
 以前、家内から『痒い』と言う字は、なぜ、病垂れに『羊』と書くのか?と質問されました。
  即答できませんでした。
 漢字源、漢語林という辞書を調べても、納得の行く説明がありません。
 漢字には、象形文字(たとえば「辻・川」)と
      会意文字(二つ以上の文字を組み合わせて作った漢字 → 痒)があります。
漢字は、昔の人が、痒みを感じて、何かを連想して作った文字ですから、
  私たちも創造力を働かせると分かる場合があります。
 痒いと感じた最初の人は、アダムとエバでした。
  エデンの園は、温暖な気候で、危害を加える動物もいなかったので、裸で良かったのです。
 罪を犯してからは、羞恥心も出て、いちぢくの葉っぱを身に付けました。
憐れみ深い神様は、二人のために、一時的なものでなく「皮の衣」を用意して下さったのです。
 神様はおとなしい羊を殺して作られたソフトな皮の衣であったでしょうが、
  着心地が悪く、痒みを感じたのでしょう。→ これは、私(辻川)の考えです。

『憐』→ 立心偏(心)+炎+舛(まいあし・右足と左足とが行き違うこと・足がよろめく)
『燐』→ 火がちょろちょろと消えずに燃え続けることを意味します。
『憐』→ 心があるものに、休む事なく、絶えず向けられていることを意味します。
憐れみ深い神様は、小さな私たちを決して見捨てたり、見放したりはされません。
いつも心にかけていて下さるお方です。

次に、憐れみ深い神様のなさった『みわざ』について考えましょう。
憐れみ深い神様が、罪深い私たちのために、何をして下さったのでしょう。→ 3節
“……イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって”と記されています。

◆キリストの復活という大切な事実を強調するために、他のことが省略されています。
 罪のために永遠の滅びに向かっている私たちを、父なる神は深く憐れみ、
  その掛け替えのない、ひとり子イエス・キリスト様をこの世にお送り下さったのです。
そして、私たちの罪の身代わりとして、イエス・キリストを十字架に、おかけ下さいました。
それだけでなく、三日目に死人の中から甦がえらせる事により、
  イエス・キリストを生けるまことの救い主としてくださったのです。
 この事実は、いくら強調しても、強調し過ぎることは決してありません。

イエス・キリストによって救いを受けている私たちは、時代がどんなに変わっても、
周囲の状況がどんなに変わっても、この十字架による救い恵みを忘れてはいけません。
いつでも、どこででも、誰にでも、主を誇り、十字架を誇る信仰を持ち続けたいものです。
イエス・キリストの十字架と復活という、この素晴らしい神のみわざにより、
 私たちは『新しく生まれ変わる』ことができました。
 なんと有り難いことでしょう。なんと感謝なことでしょう。
“新しく生まれさせ”とは、「再び生まれさせ」、「二度目に生まれさせ」と言う意味です。
 私たちは神の子として、天に国籍を持つ者として霊的に生まれ変わらせていただいたのです。

◆『一度生まれた者は二度死ぬ。二度生まれた者は一度しか死なない。』と言う言葉があります。
・一度生まれた者、即ち、生まれ変わっていない人は、肉体の死と第二の死を経験します。
  第二の死とは、神から永遠に見放され、永遠の苦しみを受けることです。
   ヘブル9章27節に“死後に裁きを受ける”とある通りです。 しかし、
・キリストにより、生まれ変わった人は、肉体の死を経験するだけで、永遠の命を受けるのです。
イエス様の再臨が切迫している今日、死を経験しないで天国に行く人もいるでしょう。

新しく生まれる=新生について、
 既に結婚していたペテロは、他の独身の弟子たちよりも、当然関心がありました。
ペテロ夫婦に子供が生まれていたのかどうか、聖書は沈黙を守っています。
ペテロの関心は、霊の子供にありました。 →1:23,2:2

新しく生まれ変わった者・救われた者に与えられる3つの祝福について考えましょう。
1.生ける望み    (2.天の資産  3.神の保護)
“生ける”→ 新約聖書の手紙の中で、ヘブル書に次いでペテロの手紙の中に良く出てくる言葉です。
ペテロにとって大切な意味のある言葉で、彼が好んで用いた言葉のようです。
ペテロは、ごく普通の漁師で、誰もが持つ単なる希望を抱いて生活していました。
 ペテロがイエス様に出会うまでは、“生ける望み・生ける希望”と言えるものでなかったのです。
  彼が死を迎える時には、その希望も死んで、空しく消えて行くものでした。
しかし、ペテロがイエス・キリストの弟子となった時に、イエス・キリストから
“あなたは、ヨハネの子シモンです。あなたをペテロと呼ぶことにします。”と聞き、
    彼の心に新しい変化が起り始めました。
“わたしについて来きなさい。人間をとる漁師にしてあげよう”と聞いた時に、
  彼は、新しい希望、生ける希望をいただいたようです。
これまでは、取ってもすぐに死んでしまう魚相手の仕事、この世の、一時的な仕事でしたが、
  これからは、神の“かたち”に造られている人を、永遠の天国に導く仕事につくのです。
 彼の心は、恐れと共に、喜びに満たされたことでしょう。
 ペテロがイエス様にお従いすればする程、『生ける望み』がどんなものかよく理解できました。

◆『生ける望み』とは、誰にも奪われない望み、どんな事が起こっても決して失わない希望です。
Q.あなたは『生ける望み』をお持ちでしょうか?
No!→ イエス・キリストを心にお迎えなさることです。

2.天の資産を受け継ぐ。→4節
主イエス様は、山上の説教の中で、天に宝を積むようにと、教えられました。
地上に宝を積むと、盗人に奪われたり、価値観に変化を受けるからです。また、
地上に宝を積むと、宝のあるところに心があり、大切な心が神から離れ易くなるからです。
使徒パウロも、コロサイ書の中で、次のように語っています。
“上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。
天にあるものを思いなさい。………
    あなたがたのいのちは、キリストと共に、神のうちに隠されてあるからです。”
(3:1~3)
・“朽ちることもなく”
 サビたり、腐ったりしない資産です。決して資産価値の下がらない宝です。
・“汚れることも”
 罪によって汚れることも、悪魔の手によって触れられることもない聖い資産です。
・“消えて行くこともない”
私たちが受け継ぐ天の資産は、永遠に消えることがなく、
    その魅力は、永遠に心を奪ってしまう程の素晴らしい価値ある資産です。
 私たちが受け継ぐ天の資産は、“天にたくわえられています。”→ 何と有り難い!

◆夫を失った婦人が、葬式のときに慰められた詩を紹介します。(W. Halsey Smith)
 『 地が夢のように消え去って
   もやに取り巻かれた岸ベから
 未知の流れに乗り出すときに
  神とともにあることは
  なんとうるわしいことだろう。
    地上の生涯の仕事をなし終えたとき
   この世の夢のような生活は消えてもよい。
   長くても短くても、それがみこころならば
   神のみこころがあらわれているならば
  そんなことは問題ではない。
  私は恐れない
  私の小舟で乗り出すことを。
 暗い大水のうねりの中に乗り出すことを。
  それはただ、もやの中を突き抜けるだけだ。
 ― そして
  神とともにあることは
  なんとうるわしいことだろう!』

3.神の保護・神の守り
 キリスト者は、生ける望みを持つようにされ、驚くべき資産・天国の財産を確実に相続でき、
  また、神様は、私たち一人一人を守り続けて下さいます。
 “守る”→ 軍隊用語です。訓練を重ねた兵士たちにより、落ち度なく厳重に守る・ガードする。

 ◆国際的な会議が開かれると、陸・海・空から厳重な警戒・警護がなされます。
  “あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、………”
  これは、ペテロの体験に基づく言葉のようです。→ 使徒12章に記されています。、
   ペテロは福音のために捕らえられていました。
    脱出は不可能で、厳重に監視されていました。
    絶体絶命の危機的な時に、神は天使を遣わし、ペテロを守り助け出されました。

◆この神の不思議な守りを、日々の生活の中で経験するには、信仰が大切です。“信仰により”
 神は、私たち信じる者の『心』を守るために、『聖霊』を心の内に住まわせていただいています。
  『体』を守るために『天使』を遣わしておられます。守護天使が与えられています。

今週、イエス・キリストを信じる者に与えて下さっています3つの素晴らしい祝福、
  1.生ける望み  2.天の資産  3.神の保護 について、
 思いを深め、体験させていただこうではありませんか!

◆応答の時◆










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