473「見よ、わたしは新しいことを行う」 イザヤ43:14~21 ( 回) 2024.1.1
明けまして お目でとうございます。
2024年の最初の日、元日の朝・元旦に、私たちは教会に集められています。
そして天地万物の創造者なる神、歴史を支配なさっているまことの神、
救い主イエス・キリストを、ご一緒に礼拝できる この恵みを心から感謝します。
今年も、主イエス・キリストの再臨が、丸一年、引き伸ばされますと、
52回の日曜日を迎えることになります。
今年も、日々聖書のみ言葉に生かされ、教えられ、励まされて、
新しい歩みを させていただきたいと願っています。
<祈り>
今朝の礼拝で、イザヤ書43章19節を中心に、み言葉を学びたいと思います。
メッセージのタイトルは「み言葉」そのもので、「わたしは新しいことを行う」です。
◆「わたしは新しいことを行う」と宣言される神様を礼拝できるとは、
何と大きな恵みではないでしょうか。
まず、この箇所の第一義的な意味、歴史的な意味を考えておきましょう。
それは、紀元前700年頃の、預言者イザヤが活動していた時代の意味です。
次に、現代に生きる、いや生かされている私たちにどんな意味があるのかを考えましょう。
今日の箇所に出て来るイスラエル、バビロン、カルデヤ人という
固有名詞に注目する必要があります。
預言者イザヤは、神に背を向けたイスラエルがバビロン帝国によって滅ぼされると警告します。
しかし、神に立ち帰り、神を信頼するならば、
バビロンから解放され自由になると、素晴らしい約束をも語ります。
イザヤは、その1000年ほど昔、モーセによってエジブトの奴隷から解放された
歴史的な事実を引き合いに出して、創造者なる神様がなさろうとしいる、
驚くような「新しいみわざ」を預言いたします。
18節“先のことに心を留めるな。昔のことに目を留めるな。”
「昔のほうが良かった」と過去に縛られて、
夢や希望を失わせ、前進することを妨げる『懐古主義』を戒める言葉です。
19節“見よ、わたしは新しいことを行う。
今、もうそれが芽生えている。
あなたがたは、それを知らないのか。…………”
神ご自身が、“見よ、”と注意を促して、危機の最中にいるイスラエルに、
新しい時代、自由と喜びと希望に輝く新しい時代が来ると予告されています。
(口語、新改訳)→“それを知らないのか”
(新共同訳)→“悟らないのか”
(TEV)(現代訳)“you can see it now ! ”
“あなたは、今、それを見ることが出来る!”と積極的な翻訳をしています!
LBでは“わたしは全く新しいことをしようとしている。いや、すでに手をつけた。
おまえの目には見えないか。”
イスラエルの民に約束された“新しいこと”とは、19,20節に記されているように
“……必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。”ことであり、
“……わたしが荒野に水を、荒れ地に川を流れさせ………
わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ”と言われる
不思議で驚くような、すばらしい回復の約束です。
これは単なる自然現象の変化ではなく、
道なき荒野をさ迷い、干からびた荒地のように痛め付けられたイスラエルの民に、
神が回復への確かな道を開き、命の水を飲ませ、命の川のような祝福を与えるという
驚くべき約束です。
“荒野、荒れ地”と言う言葉が繰り返されています。
☆ホサナの開拓伝道を始める前に、家内と聖地旅行・イスラエル旅行をする機会が与えられ、
荒野とオアシスの対照的な違いを見ることができました。
荒野は、草や木が殆どなく、カラカラに乾き切って、
赤茶けた土砂と岩が剥き出しになっている場所です。
荒野は、死と隣り合わせになっている所、最悪の場所です。
命が極限状態にさらされる危険な場所です。
荒野のようなひどい状況にあっても、
神を信じる者には、奇跡的な恵みを経験できると言うのです。
それが、この箇所の歴史的なメッセージです。
今から2700年ほどの遠い昔に、神が預言者イザヤに語られた状況と
今日の世界の状況はあまり変わらないのではないでしょうか。
日本は海に囲まれた島国で、他国と比べれば危機意識が薄く、
私たちは、案外のんきに生活しています。
東南アジヤ諸国を侵略した戦争責任もあいまいにし、平和憲法の改悪も何度も叫ばれています。
日本は、モノは豊かなようでも、エネルギーも食料も外国に依存していいます。
輸入がストップすれば、私たちはパニックになるのではないかと思われます。
自殺する人が、毎年2万人以上います。自殺予備軍は、一体その何倍でしょうか。
私たちの血を凍らせるような凶悪な殺人事件も次々と起こっています。
イエス様が予言されているように、“不法がはびこるので、多くの人々の愛が冷え”ています。
マタイ24:12
今は、人と仲良く共存できにくい、居心地の悪い時代になっているのではないでしょうか。
家庭、学校、職場などに居場所を失っている人々もいます。
今は、自然とも共存できにくい時代です。地球の温暖化から、地球の沸騰化へと変化!
最近は世界の各地で、洪水や山火事などの自然災害による死者も多くなっています。
たとえ私たちが絶望的で、手の施しようがない状況の中にいたとしても、
天地万物の創造者なる神様は、“わたしは新しいことを行う”と断言・宣言されています。
なんと有り難いことでしょうか。希望と勇気を与えられて、前進することができます。
“新しいこと”をされる神とは、どういうお方なのでしょうか?
15節に、神の自己紹介の言葉が4つ紹介されています。
①主(太字)→ ヤーウェと呼ばれる聖書の神を表しています。
唯一の神、生ける神、全知全能の神を示す言葉です。
②聖なる者 → 罪を嫌い、罪を憎まれる“聖なる”神です。
罪深い人間が、作り、祭り上げている神は、決して聖なる者でないのです。
人間を造られた聖書の神のみが、生ける聖なる神です。
聖なる神だから、私たちの罪を赦そうと願われる神でもあります。
③創造者 → 天地万物を創造できるのは、
唯一の、生ける神、全知全能の神だけです。
◆毎年、正月になれば、私たち日本人の多くは、急に思い出したように神社仏閣に
向かいます。創造者ではなく、被造物を拝んでいます。
偶像崇拝は、創造者なる神に背を向けることで、明らかに罪なのです。
◆家内の川柳日記に「愚かだなぁ 何でも 神にしてしまう」
④あなたがたの王 → 絶対的な権威をもつお方です。
聖書の神は、世界のすべての王の更に上に君臨する、いと高きお方で、
永遠、不滅の王、王の王なる神です。
ヘンデルの有名な「メサイア」の中で「王の王、主の主」と言うフレーズが
何度も繰り返され、圧倒されるような感動を与えます。
それを聞いたイギリスの国王が、思わず立ち上がったと言うエピソードがあります。
◆唯一の生ける神様を4つの異なった角度から、
主、聖なる者、創造者、王として表現されています。
主の主、王の王なる神、聖なる、創造者なる神が、
すでにイスラエルの歴史の中で、すでに何度も“新しい事”をなさったのです。
1948年には、神の新しいみ業として『イスラエル』が国家として誕生しました。
2000年間、世界中に離散していたユダヤ人たちが、祖国に戻ることができたのです。
イザヤの預言のように、“荒野に道を”開き、“荒れ地に川を”流れさせられたのです。
科学や医学も進み、教育レベルも上がっているのに、
私たち人間の心は成長しないで、そのスピードについて行けない状態です。
心のレベルアップ、スキルアップができず、心に傷を負い、心の病人が増えています。
イエス様の予告された終末の予告のように、
今日、自然界にも、人間の心の世界にも、砂漠化が進んでいます。
世界地図が、塗り替えられています。森林が失われ、緑の部分が少なくなっています。
異常気象が、さらに増えて、命を失ったり、生活が脅かされるようになって行くでしょう。
人間は、化粧したり、衣装を身につけて、外側を見栄え良くしますが、
肝心の心の手入れは、なおざりにしています。心は不毛の荒野のようになっています。
聖書の神は、私たちに、
“見よ。わたしは新しいことを行う。
今、もうそれが芽生えている。
あなたがたは、それを知らないのか。……”と語りかけておられます。
◆イザヤ書の中で“わたしは新しいことを行う。”と語られた神は、
聖書の最後の黙示録21章5節で、“見よ、わたしはすべてを新しくする。”と
と私たちにも、今、語っておられます。開いて読んでみましょう。
◆この一年、私たちはキリストにあって、日々、新たにされて、
平安をいただき、確かな希望をもって歩んで行こうではありませんか。
◆応答の時◆